ジョージ・ワシントン大統領
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オリヴァー・エルズワース最高裁判所長官
 ニュー・ヨーク州知事に就任するにあたって最高裁長官を辞任したジョン・ジェイの後任を誰にするかは難しい問題であった。最初、ワシントンは最高裁判事のジョン・ラトレッジを長官に指名したが、上院の承認を得ることができなかった。次に同じく最高裁判事のウィリアム・カッシングに就任を打診したが断られた。結局、ワシントンは上院議員のオリヴァー・エルズワース(1745.4.29-1807.11.26)をジェイの後任に指名した。エルズワースの指名は、最高裁における年功序列にとらわれず、能力に応じて長官を任命する一つの先例となった。
 エルズワースはコネティカット植民地ウィンザーの富農の子として生まれた。厳格なカルヴィニズムを信仰する家庭で育った。1762年にイェール大学に入学したが、後にカレッジ・オヴ・ニュー・ジャージー(現プリンストン大学)に転じた。1766年に大学を卒業後、聖職者になるための勉強を続ける傍ら、短期間ながら教師として働いた。しかし、エルズワースは聖職者の道に進まず、法曹界に進む道を選んだ。
 1773年には、コネティカット植民地議会下院議員に選ばれた。さらに1778年から1783年まで、大陸会議(連合会議)のコネティカット邦代表として活躍した。合衆国憲法制定会議にも参加し、憲法案の起草に携わった。合衆国憲法の下で連邦上院議員に選出された。上院議員の中でエルズワースは最も影響ある人物であり、裁判所法の成立に貢献した。
 最高裁長官としてエルズワースは、1796年、合衆国対ラ・ヴァンジャンス事件で、連邦政府の権限が内陸水系にも及ぶことを明言した。また、判事全員が一つの判決を無記名で発表する慣行を導入した。