陸軍長官ヘンリー・ノックス


 陸軍省は、1789年8月7日、国務省に次いで2番目に創設された。陸軍長官の年俸は300ドルであった。
ヘンリー・ノックス(1750.7.25-1806.10.25)はボストン生まれで父は船長であった。1762年に父が亡くなったことで支援を失ったノックスは、学校をやめて書店で働いた。18才になると地元の砲兵中隊に入隊した。1771年には、ボストンに自らの書店を開いた。ノックスは書店で軍事書を幅広く扱い、自らも多くの軍事書を読破し、独学で軍事工学や砲術を身に付けた。
 独立戦争が勃発すると、1775年6月に家族を引き連れてボストンから退避した。その頃、ノックスはワシントンに初めて出会っている。1775年11月17日、軍事的知識を買われて大佐に任じられ、12の中隊からなる砲兵連隊の指揮を委ねられた。ノックスは、300マイル離れたタイコンデローガ砦にある鹵獲品をワシントンの陣営まで運搬することを提案した。1776年1月末、幾多の難路を乗り越えて、ノックスはアメリカ軍に大量の軍需物資をもたらした。それは、43門の大砲、2門の野戦砲、14門の臼砲と小型砲弾発射器、7,000発の砲弾、2,000丁のマスケット銃、31トンの銃弾にという途方も無い量であった。ノックスの活躍により、ワシントンはイギリス軍をボストンから撤退させることができた。砲兵連隊を率いてノックスは各地を転戦し、著しい戦果をあげた。
 ヨークタウン包囲終了後、ノックスは最年少で大陸軍の少将に昇格した。ワシントンが大陸軍総司令官を退くと、後を引き継いで兵士達を除隊させることに尽力した。また独立戦争に参加した将官で構成されるシンシナティ協会設立に主導的な役割を果たしている。
 1785年、連合会議の下でノックスは陸軍長官の職を引き受けた。ノックスは連合会議に一般国民軍事教練を行うことを提案した。しかし、ノックスの提案は受け入れられなかった。1786年から1787年にかけて起こったシェイズの反乱では、ノックスは邦の民兵隊に命じて、反徒が武器庫から武器を入手するのを阻止した。
 合衆国憲法の下で陸軍省は1789年8月7日に設立された2番目の省である。陸軍長官に就任したノックスは、第一合衆国銀行設立をめぐる論争において財務長官ハミルトンを支持した。しかし、ハミルトンが軍事物資の調達を陸軍省から財務省に移管したことや、さらにウィスキー暴動の際に采配を振るったことをノックスは快く思わなかった。そのためノックスは、一時期、陸軍省から離れた。その後、ノックスは陸軍長官を辞職した。陸軍長官としてノックスは、陸軍だけではなく、海軍の整備と沿岸要塞の構築を行った。またネイティヴ・アメリカンとの交渉も担当した。
 ジョン・アダムズ政権期、ノックスは臨時軍の少将に指名されたが、ハミルトンの下位に置かれるのを嫌い、任官を断った。土地投機に関与して失敗したためにほとんど破産状態に追い込まれた。腸に刺さった鶏の骨による感染症で亡くなった。

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