司法長官エドマンド・ランドルフ


 司法長官職は郵政長官職に次いで1789年の裁判所法に基づき1789年9月24日に設けられた。年俸は1500ドルであった。その職務は、当初、大統領と各省長官のための法律顧問であった。
 エドマンド・ランドルフ(1753.8.10-1813.9.12)はヴァージニア植民地ウィリアムズバーグ近郊で生まれた。ランドルフ家はヴァージニア植民地における名家であり、父は勅撰弁護士を務めていた。叔父のペイトン・ランドルフは大陸会議議長を務めている。ランドルフはウィリアム・アンド・メアリ大学で学んだ後、21才で法曹界に入った。
 独立戦争が勃発するとランドルフはワシントンの陣営に赴き、副官として短期間働いた。叔父ペイトンの死にともない郷里に帰ったランドルフは、最年少でヴァージニア革命協議会に参加し、検事総長に選ばれた。ウィリアムズバーグの市長も兼ねた。1786年、ヴァージニア邦知事に選出された。同年、合衆国憲法制定会議の先触れとなったアナポリス会議に参加した。翌年の合衆国憲法制定会議にも参加し、ヴァージニア案を提案したことでよく知られている。ランドルフは当初、合衆国憲法批准に反対していたが、後に賛成に転じ、反対派の怒りをかった。そうした混乱をさ避けるために知事を辞任した。
 ジェファソンとハミルトンの対立の最中、ランドルフは中立を保とうとし、ワシントンの信任を得た。ジェファソンの辞職に伴い国務長官に異動した。

ワシントン政権閣僚歴代アメリカ合衆国大統領研究