司法長官ウィリアム・ブラッドフォード


 ランドルフの異動に伴い、ウィリアム・ブラッドフォード(1755. 9.14-1795.8.23)が後任となった。ブラッドフォード家は代々、印刷業を生業とする有名な一家である。ブラッドフォードはフィラデルフィアで生まれ、カレッジ・オヴ・ニュー・ジャージー(現プリンストン大学)で神学と法学を修めた。ジェームズ・マディソンと交友した。独立戦争に義勇兵として参加し、1777年には大佐に昇進し、副検閲官に任じられた。各地を転戦したが健康を害したために1779年に退役した。
 退役後、法曹界に入り、25才でペンシルヴェニア邦検事総長に就任し、11年間、その職に留まった。1791年、ペンシルヴェニア州最高裁判事に就任し、ペンシルヴェニア州の刑法改定に影響を及ぼした。ランドルフが国務長官に異動したのに伴い、司法長官に任命された。ウィスキー暴動を平和的に解決する可能性を探った。ブラッドフォードの報告に基づいてワシントンは暴動の平和的解決を図ったが失敗に終わった。
 国務長官ランドルフの告発に際して、ピカリングとウォルコットは病に臥していたブラッドフォードに協力を求めた。そうした心労や無理がたたって、ランドルフの辞任直後、ブラッドフォードは在職のまま、黄熱病で亡くなった。ブラッドフォードの病死は、閣僚の中で在職中に死亡した最初の例となった。

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