海軍長官ベンジャミン・ストッダート


ジョン・アダムズ ベンジャミン・ストッダート(1751-1813.12.17)はメリーランド邦チャールズ郡のタバコ農園主の子として生まれた。フィラデルフィアの商家で徒弟として働いた後、1777年、ペンシルヴェニア連隊の大尉となった。ブランディワイン・クリークの戦いで負傷した。後にネイティヴ・アメリカンとの戦闘で表彰される。1779年、戦争・軍需品局の書記官となり、1781年まで同職に留まった。タバコの売買や不動産取引に従事し財を成した。ワシントンが土地を購入する手助けも行った。その土地は後に政府に譲渡され、ワシントンD. C.の一部となった。
 海軍省が新設されるにあたり、国務長官ピカリングの推薦で長官に指名された。新設当時、海軍省は僅かに10名ばかりの職員しかおらず、管理すべき艦船もろくにないありさまであった。ストッダートは議会に12隻の砲艦、12隻のフリゲート艦、そして2,30隻の小型船の建造を提案した。ストッダートの指揮の下、合衆国海軍は約50隻の艦船、1044砲門、7600人の人員を抱えるまでに拡張された。アダムズはストッダートに広範な自由裁量を認めていた。擬似戦争に際しては、84隻のフランス船舶を拿捕する一方で、150隻以上のアメリカ商船を解放した。ストッダートはアダムズに忠実であり、フランスへの特使派遣にも賛成した。また海兵隊創設の原案を起草した。政権交代後も任に留まった。

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