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アメリカ歴代大統領研究ポータル

トマス・ジェファソン大統領
第2代アメリカ大統領
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ジョン・アダムズ

ジョン・アダムズ
説得力 42.7 26位
危機対応力 54.7 17位
経済管理力 57.2 15位
カリスマ 63.8 12位
外交力 66.1 14位
行政手腕 52.8 25位
議会連携力 46.6 28位
決断力 53.2 20位
公正性 48.3 15位
ヴィジョン 59.5 17位
C-SPANのランキングに拠って作成
ジョン・アダムズ大統領の能力値
完全な詳細は『ジョン・アダムズ伝記事典』に収録。

ジョン・アダムズ大統領の概要

John Adams

Atlas of Independence

 連邦党
 Federalist

 在任期間
 1789年4月30日〜1797年3月4日
 生没年日
 1732年2月22日〜1799年12月12日
 身長・体重
 170.2cm/不明

 

聖職者になるために高い教育を受ける

 ジョン・アダムズ大統領は1735年10月30日(ユリウス暦では1734/35年10月19日)、マサチューセッツ植民地ブレインツリー(現在のクインジー)で父ジョン・アダムズ(1691.1.28-1761.5.25)と母スザンナ(1699.3.5-1797.4.17)の間に長男として生まれた。ちなみにジョン・アダムズという名前は父に因んでいる。父ジョンは息子を聖職者にするために高い教育を施そうと考え、アダムズをハーヴァード大学に進学させた。しかし、ジョン・アダムズは聖職者の道には進まず弁護士の道に進んだ。

独立のアトラス

 1774年に第1回大陸会議が開かれた際に、ジョン・アダムズはマサチューセッツ植民地代表の1人に選ばれ、翌年の第2回大陸会議でも続いて代表に選ばれた。翌年の独立宣言起草にも携わった。そうした活躍によりジョン・アダムズは「独立のアトラス(ギリシア神話に登場する巨人)」と呼ばれる。ジョン・アダムズは大陸会議では戦争・軍需品局の長を務め、大陸軍の支援を行った。さらにヨーロッパで約10年にわたって外交官として働いた。帰国後に副大統領に選出された。ジョージ・ワシントン大統領の引退後、1796年の大統領選で勝利し、その後を襲った。
 

ワシントンの後継者

 ワシントン政権末期から激しさを増した連邦派と民主共和派の対立により政権は混迷を深めた。ジョン・アダムズ大統領自身はジョージ・ワシントンの後継者として連邦派と目されたが、連邦派の中心的人物であるアレグザンダー・ハミルトンと良好な関係を築くことができなかった。そのような困難な状況の中、大統領としてジョン・アダムズ独自の判断で悪化した対仏関係を改善し、中立を守った。

ジョン・アダムズ大統領の参考情報