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第2代アメリカ合衆国大統領ジョン・アダムズJohn Adams生没年日(1732年2月22日〜1799年12月12日) 在任期間(1789年4月30日〜1797年3月4日) |
| 概要 |
ジョン・アダムズ大統領は1735年10月30日(ユリウス暦では1734/35年10月19日)、マサチューセッツ植民地ブレインツリー(現在のクインシー)で父ジョン・アダムズ(1691.1.28-1761.5.25)と母スザンナ(1699.3.5-1797.4.17)の間に長男として生まれた。ちなみにジョン・アダムズという名前は父に因んでいる。父ジョンは息子を聖職者にするために高い教育を施そうと考え、アダムズをハーヴァード大学に進学させた。しかし、ジョン・アダムズは聖職者の道には進まず弁護士の道に進んだ。 1774年に第1回大陸会議が開かれた際に、ジョン・アダムズはマサチューセッツ植民地代表の1人に選ばれ、翌年の第2回大陸会議でも続いて代表に選ばれた。翌年の独立宣言起草にも携わった。そうした活躍によりジョン・アダムズは「独立のアトラス(ギリシア神話に登場する巨人)」と呼ばれる。ジョン・アダムズは大陸会議では戦争・軍需品局の長を務め、大陸軍の支援を行った。さらにヨーロッパで約10年にわたって外交官として働いた。帰国後に副大統領に選出された。ワシントン引退後、1796年の大統領選で勝利し、ワシントン大統領の後を襲った。 ワシントン政権末期から激しさを増した連邦派と民主共和派の対立により政権は混迷を深めた。ジョン・アダムズ大統領自身は連邦派と目されたが、連邦派の中心的人物であるハミルトンと良好な関係を築くことができなかった。そのような困難な状況の中、大統領としてジョン・アダムズ独自の判断で悪化した対仏関係を改善し、中立を守った。 |
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