アンドリュー・ジャクソン 第7代アメリカ合衆国大統領

アンドリュー・ジャクソン

Andrew Jackson

生没年(1767年3月15日〜1845年6月8日)
在任期間(1829年3月4日〜1837年3月4日)

 


概要


庶民出身
 ジャクソンはサウス・カロライナ植民地とノース・カロライナ植民地の境界周辺のワックスホーで生まれた。正確な生誕地については不明である。父アンドリュー(?-1767.3)と母エリザベス(?-1781.11)の間の3番目の末子であった。父アンドリューはリネン織りや農業を生業としていた。ジャクソンが生まれる前に怪我が原因で亡くなっている。ジャクソンは学校に通っていたが、僅か13才の時に兄とともに独立戦争に身を投じた。戦後、ジャクソンは法律を学び法曹界で身を立てた。

ニュー・オーリンズの英雄
 西部で頭角を現したジャクソンは、テネシーの州昇格にともない州選出初の連邦下院議員になった。その後、上院議員にも選出されたが、経済的な事情でテネシーに帰り、州最高裁判事を務めた。1812年戦争が勃発するとジャクソンは、民兵隊を率いて戦うことを決意した。ジャクソン率いる部隊は約五ヶ月かけてイギリスと同盟していたクリーク族を打ち破った。さらに軍をフロリダに進めたジャクソンはニュー・オーリンズでイギリスに大勝し、一躍、国民的英雄となった。

ジャクソニアン・デモクラシーの幕開け
 1824年でジャクソンは有力な大統領候補として浮上し、一般投票でジョン・クインシー・アダムズを上回ったものの、過半数を獲得できず、下院の裁定の結果、落選した。1828年の選挙で雪辱を果たしたジャクソンは、党人任用制と官職交代制を導入し、幅広い階層に政治参加の道を開いた。また第二合衆国銀行の特許更新に反対し、廃止を決定した。その一方で、ネイティヴ・アメリカンに対しては軍を派遣してミシシッピ以西に強制移住させている。


目次

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  年表
  出身州
  祖先
  家庭環境
  学生時代
  職業経験
  大統領選挙戦
  政権の特色と課題
  副大統領・閣僚・最高裁長官
  引退後の活動
  後世の評価
  ファーストレディ・養子
  趣昧
  エピソード
  宗教
 
演説

  参考文献・リンク

歴代アメリカ合衆国大統領研究