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アメリカ歴代大統領研究ポータル

ウィリアム・タフト大統領
第26代アメリカ大統領
飾り

セオドア・ルーズベルト

セオドア・ルーズベルト
説得力 89.2 4位
危機対応力 80.9 5位
経済管理力 73.6 4位
カリスマ 80.5 4位
外交力 80.3 5位
行政手腕 75.2 4位
議会連携力 66.6 7位
決断力 85.7 5位
公正性 65.3 8位
ヴィジョン 83.6 4位
C-SPANのランキングに拠って作成
セオドア・ルーズベルト大統領の能力値

セオドア・ルーズベルト大統領の概要

Theodore Roosevelt

Trust-Buster

 共和党
 Republican

 在任期間
 1901年9月14日〜1909年3月4日
 生没年日
 1858年10月27日〜1919年1月6日
 身長・体重
 177.8cm/90.8kg
 
 

富裕な家庭

 セオドア・ルーズベルトはニュー・ヨーク州ニュー・ヨークで生まれた。父セオドア(1831.9.22-1878.2.9)と母マーサ(1834.7.8-1884.2.14)の4人の子供の2番目であった。父セオドアは商業を営み、慈善家としても知られていた。ルーズベルトは幼少の頃、病弱であったが、自ら身体を鍛えなおした。ハーヴァード大学に進んだ後、コロンビア大学ロー・スクールで学んだ。
参考情報
「ルーズベルト」姓のカタカナ表記

荒馬乗り

 ロー・スクールを去った後、ルーズベルトはニュー・ヨーク政界に進出した。ニュー・ヨーク州議員議員を皮切りに公務員監督官、ニュー・ヨーク警察委員会議長を歴任した。さらにマッキンリー政権下で海軍次官補を務めた。米西戦争が起こると自ら「荒馬乗り」部隊を率いて出征した。ニュー・ヨーク州知事選挙に出馬し、僅差で当選した。州知事として公務員任用制度の改革を行い、税制改革を行った。1900年の大統領選挙でウィリアム・マッキンリーとともに副大統領候補として出馬し、当選を果たした。マッキンリーが暗殺されたために昇格して大統領に就任した。

独禁法取締官

 大統領としてルーズベルトは積極的に国内のトラストの規制を行った。そのため「独禁法取締官」と呼ばれた。また鉄道運賃、自然保護、食品検査などに関連する諸法案を施率させた。ルーズベルトは革新主義の旗手として知られている。外交面では「棍棒」政策を展開し、パナマ運河を実質的にアメリカの管理下に置いた。日露戦争講和を仲介しノーベル平和賞を受賞した。

セオドア・ルーズベルト大統領の参考情報