グロヴァー・クリーヴランド 第22・24代アメリカ合衆国大統領

グロヴァー・クリーヴランド

Grover Cleveland
(Stephen Grover Cleveland)

生没年(1837年3月18日〜1908年6月24日)
在任期間(1885年3月4日〜1889年3月4日・1893年3月4日〜1897年3月4日)

 

概要


大学進学を断念
 グロヴァー・クリーヴランドはニュー・ジャージー州カルドウェルで生まれた。父リチャード(1804.6.19−1853.10.1)と母アン(1806.2.4−1882.7.19)の9人の子供の5番目であった。父リチャードは長老派教会の牧師であった。クリーヴランドは大学進学を希望していたが、父リチャードが亡くなったために職を探さなければならなくなった。職を転々とした後、法律事務所の見習いとなって法律を学んだ。そして、法曹界に入った。

改革知事
 クリーヴランドはニューヨーク州エリー郡の検事補に選ばれた。また同郡の保安官も務めた。さらに、バッファローの市長に選ばれたクリーヴランドは市政改革に乗り出し名声を得た。それがもとで民主党の州知事候補に指名され、圧倒的票差で当選した。当時、州議会議員であったセオドア・ローズヴェルトと協力して汚職や猟官制度の撤廃に努めた。1884年の大統領選挙で当選し、共和党政権が連続する中で唯一の民主党政権を担った。

史上唯一の返り咲き
 クリーヴランドは大統領としても改革を推進し、既に成立していたペンドルトン公務員法を厳格に施行した。また南北戦争の退役軍人に対して個人年金を支給する法案に対して拒否権を行使した。1888年の大統領選挙で一般投票では対立候補を上回ったものの選挙人数で逆転され落選した。しかし、1892年の大統領選挙に再出馬し返り咲きを果たした。1893年恐慌に対してクリーヴランドは対策を打ち出したが打開策とはならなかった。


目次

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  年表
  出身州
  祖先
  家庭環境
  学生時代
  職業経験
  大統領選挙戦
  政権の特色と課題
  副大統領・閣僚・最高裁長官
  引退後の活動
  後世の評価
  ファーストレディ
  子供
  趣昧
  エピソード
  宗教
 
演説

  参考文献・リンク

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