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アメリカ歴代大統領研究ポータル

ザカリー・テイラー大統領
第11代アメリカ大統領
飾り

ジェームズ・ポーク

ジェームズ・ポーク
説得力 62.9 12位
危機対応力 70.2 10位
経済管理力 57.9 14位
カリスマ 51.1 24位
外交力 63.6 17位
行政手腕 67.3 8位
議会連携力 61.0 11位
決断力 75.7 10位
公正性 30.2 36位
ヴィジョン 66.4 12位
C-SPANのランキングに拠って作成
ポーク大統領の能力値

ジェームズ・ポーク大統領の概要

James Knox Polk

Napoleon of the Stump

 民主党
 Democratic

 在任期間
 1845年3月4日〜1849年4月4日
 生没年日
 1795年11月2日〜1849年6月15日
 身長・体重
 172.7cm/不明

 

アイルランド系

 ジェームズ・ポークはノース・カロライナ州メクレンブルグ郡パインヴィル付近で生まれた。父サミュエル(1772.7.5-1827.11.5)と母ジェーン(1776.11.15-1852.1.11)の10人の子供の長子である。父サミュエルは農園主であり、測量や土地投機なども行なっていた。テネシー州の辺境に一家が移転したためにポークは両親から読み書きの手解きを受けた。ノース・カロライナ大学を卒業後、法律を学び法曹界に入った。

テネシー政界

 ポークはテネシー州下院議員当選を以って政界に入った。その後、連邦下院議員を務め、議長にも任命されている。その間、一貫してジャクソン大統領を支持した。テネシー州知事を2期務めたが、再々選はかなわなかった。しかし、1844年、政治的妥協の結果、民主党大統領候補指名を獲得し、ホイッグ党の対立候補を破った。

米墨戦争


 大統領としてポークは領土拡大を実現させた。英米の共同管理下に置かれていたオレゴン地方の北緯49度以南を獲得した。さらにテキサス併合をめぐってメキシコと戦火を交え、カリフォルニアを含む広大な土地を合衆国に組み入れた。大統領退任後まもなく病死した。

ポーク大統領の参考情報