![]() |
第27代アメリカ合衆国大統領ウィリアム・タフトWilliam Howard Taft生没年(1857年9月15日〜1930年3月8日) 在任期間(1909年3月4日〜1913年3月4日) |
| 概要 |
ウィリアム・タフトはオハイオ州シンシナティで生まれた。父アルフォンゾ(1810.11.5-1891.5.21)と母ルイーズ(1827.9.11-1907.12.8)の10人の子供の7番目であった。父アルフォンゾは成功した弁護士であり、グラント政権で陸軍長官と司法長官を務めている。タフトはイェール大学を次席で卒業後、シンシナティ大学ロー・スクールで法律を学んだ。 法曹界に入ったタフトは、ハミルトン郡の検事補になった。シンシナティの上級裁判所判事や検察官、連邦巡回裁判所判事を歴任した。米西戦争後、総督としてフィリピンの統治に携わった。セオドア・ローズヴェルト大統領から陸軍長官に任命された。1905年に日本を訪れ桂太郎総理と会談し、タフト・桂覚書を交わしたことで知られている。1908年の大統領選挙でローズヴェルトの後援を受けて当選した。 タフトは内政面では反トラスト法を執行し、外交面ではカリブ海と中米に対してドル外交を展開した。1912年の大統領選挙は、前大統領ローズヴェルトが革新党を率いて参戦するという混戦の中、現職であるタフトの得票は三位に終わった。退任後、連邦最高裁長官を務めた。行政府と司法府の最高職を経験したのはタフトのみである。 |
| 目次 |
(タイトルをクリックすると各項目にジャンプします)
| |