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アメリカ歴代大統領研究ポータル

フランクリン・ルーズベルト大統領
第31代アメリカ大統領
飾り

ハーバート・フーバー

ハーバート・フーバー
説得力 32.1 38位
危機対応力 26.0 39位
経済管理力 24.9 41位
カリスマ 47.4 28位
外交力 50.2 25位
行政手腕 65.8 10位
議会連携力 42.7 30位
決断力 32.6 38位
公正性 36.3 31位
ヴィジョン 30.8 37位
C-SPANのランキングに拠って作成
ハーバート・フーバー大統領の能力値
ハーバート・フーバー大統領の概要

Herbert Clark Hoover

The Great Engineer

 共和党
 Republican

 在任期間
 1929年3月4日〜1933年3月4日
 生没年日
 1874年8月10日〜1964年10月20日
 身長・体重
 180.3cm/不明
 

幼くして両親を失う

 ハーバート・フーバーはアイオワ州ウェスト・ブランチで生まれた。父ジェシー(1846.9.2-1880.12.13)と母ハルダ(1848.5.4-1884.2.22)の3人の子供の2番目であった。父ジェシーは鍛冶と農具を商っていたがフーバーが6才の時に亡くなった。さらに2年後、母も亡くなり、親戚のもとに引き取られた。フーバーはスタンフォード大学で工学を学び、卒業後、鉱山技師として働いた。


寄る辺無き子供達の友

 フーバーは鉱山技師として世界各地を周り、財産を築いた。第1次世界大戦中、ヨーロッパの戦災救援に尽力し、「寄る辺無き子供達の友」と呼ばれ、多くの人々から敬意を得た。アメリカが参戦後は食糧長官に任命され、食糧の生産、流通の管理に携わった。その後、ウォレン・ハーディング大統領カルヴィン・クーリッジ大統領の下で商務長官を務めた。1928年の大統領選挙で共和党候補として立候補し当選した。

大恐慌

 フーバーが大統領に就任してまもなく世界恐慌が起きた。恐慌に対してフーバーは公共事業計画、政府から銀行や企業への融資、所得税の引き下げなどを行ったが景気後退を食い止めることはできなかった。自国の産業を保護するために、1930年のスムート・ホーレー法を成立させて高関税政策を取り、深刻な貿易戦争を巻き起こした。

フーバー大統領の参考情報