副大統領ジョン・カルフーン


ジョン・カルフーンの経歴については、モンローの項、副大統領/閣僚/最高裁長官、陸軍長官ジョン・カルフーンを参照せよ。1824年の大統領選挙で当選したカルフーンは、1825年3月4日に副大統領に就任した。
 カルフーンはその当時、連邦上院議員であったヴァン・ビューレンとともにアダムズ政権に反対姿勢を示した。「オンズローOnslow」という筆名を使って副大統領の役割を論じた一連の論説を発表した。それに対して「パトリック・ヘンリーPatrick Henry」の筆名で反論を展開したのは他ならぬアダムズ大統領自身であった。
 1828年関税法案に対して、カルフーンはサウス・カロライナ州の求めに応じて「サウス・カロライナの論議と抗議」を起草した。その中でカルフーンは、合衆国憲法は連邦と州の間の契約であり、連邦の権限は憲法に列挙された権限に限られると主張した。さらにカルフーンによると、もし連邦が契約に反するような法律を定めようとすれば、州はそうした法律を無効にすべく訴える義務があるという。
 1828年の大統領選挙でカルフーンは副大統領に再選され、ジャクソン政権でも引き続き副大統領を務めた。

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