ジョン・クインシー・アダムズ 第6代アメリカ合衆国大統領

ジョン・クインシー・アダムズ

John Quincy Adams

生没年(1767年7月11日〜1848年2月23日)
在任期間(1825年3月4日〜1829年3月4日)
 
ジョン・クインシー・アダムズ大統領の概要
大統領の子
 ジョン・クインシー・アダムズ大統領は1767年7月11日、マサチューセッツ植民地ブレインツリー(現在のクインジー)で第2代大統領になった父ジョン・アダムズと母アビゲイルの間に長男として生まれた。ジョン・クインシーという名前は母方の曽祖父に因んで命名された。
 父に随行してジョン・クインシー・アダムズはヨーロッパ各地を歴訪し、13才の時に駐露アメリカ大使の秘書兼通訳としてロシアに向けて出発した。正規教育を受けた期間は短かったが父ジョンの厳しい薫陶を受けて、父と同じくハーヴァード大学に進んだ。

外交面で活躍

 ジョン・クインシー・アダムズはオランダ、ポルトガル、プロシア、ロシアなど各国の公使を務めた後、マサチューセッツ州上院議員、連邦上院議員などを歴任し、モンロー政権下で国務長官に就任した。国務長官としてジョン・クインシー・アダムズはモンロー・ドクトリンの形成に大きく貢献し、アメリカの外交政策の基盤を作った。


偉大なる雄弁家
 
1824年の大統領選挙でジョン・クインシー・アダムズはジャクソンと大統領の座を争ったが、いずれの候補も過半数の選挙人票を獲得できず裁定は下院に委ねられた。その結果、一般投票でも選挙人票でも劣勢であったにも拘らず、ジョン・クインシー・アダムズの当選が決定した。ジョン・クインシー・アダムズ大統領は対立党派の激しい抵抗のために著しい業績をあげることができなかった。さらに1828年の大統領選挙でジャクソンに破れ、父と同じく1期のみの大統領在任となった。退任後も連邦下院議員として重きをなし、奴隷制に対して独自の反対論を展開した。そのため「偉大なる雄弁家」や「人権の擁護者」と呼ばれた。


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