司法長官ウィリアム・ワート


ウィリアム・ワートの経歴については、モンローの項、副大統領/閣僚/最高裁長官、司法長官ウィリアム・ワートを参照せよ。
 ワートは司法長官を務めるかたわら、弁護士としての名声も高めた。当時、司法長官職は専任ではなかったからである。また1826年にジョン・アダムズとジェファソンが亡くなった際に発表した弔辞は高く評価されている。
 退任後もワートは法曹界で活躍した。1830年、ニュー・ジャージー州とニュー・ヨーク州の境界紛争でニュー・ジャージー州の弁護を行なった。さらにチェロキー族に関する裁判では、ジョージア州がチェロキー族の領域内で法律を強制することは違憲であると主張している。最高裁はチェロキー族の主張を認めたが、ジャクソン大統領は最高裁の裁定を事実上、無視した。ワートはジャクソンが立憲政治に脅威を及ぼすのではないかと不信感を抱いていたが、この裁定に対するジャクソンの姿勢はワートの不信感を裏付けることになった。
 1831年10月、ワートは反フリーメイスンリーの大統領候補指名を受け入れた。ジャクソンに対する不信感という点で共通項を見出したからである。しかし、1832年の大統領選はジャクソンの勝利で終わり、ワートは僅かに7票の選挙人票を得るにとどまった。晩年のワートの夢は、フロリダに所有する土地にドイツ移民による居住地を建設することであった。しかし、それを実現することなく、1834年、ワシントンで亡くなった。

ジョン・クインシー・アダムズ政権歴代アメリカ合衆国大統領研究