財務長官リチャード・ラッシュ


リチャード・ラッシュの経歴については、マディソンの項、副大統領/閣僚/最高裁長官、司法長官リチャード・ラッシュを参照せよ。1825年、ジョン・クインシー・アダムズ政権下で財務長官を務めることになったラッシュはイギリスを離れた。財務長官としてラッシュは、「アメリカン・システムAmerican System」の実現を推進した。アメリカン・システムは、国民経済の統合を図り、農業、商業、製造業の利害のよりよい均衡を築くことを目指した。特に国内改良と製造業の支援を行った。国内市場を守るために保護関税を導入を支持した。1828年、ラッシュはアダムズとともに副大統領候補として大統領選挙に出馬したが敗れた。
 退職後、ラッシュは反フリーメイスン党から大統領候補として出馬するように要請されたが、それを断って後に民主党に転じた。またラッシュはスミソニアン協会の設立に指導的な役割を担った。ポーク政権下でフランス公使に任命され、1848年の革命に居合わせた。フランス公使を務めた後、ラッシュは完全に引退し、1859年、フィラデルフィアで亡くなった。

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