郵政長官リターン・メグズ


リターン・メグズ (1765.11.17-1824.3.29)は、コネティカット植民地ミドルタウンに生まれた。1785年、イェール・ガレッジを卒業した。その後、父が開発に携わっているオハイオ渓谷のマリエッタ移住し、弁護士業や土地投機、雑貨店の経営などに従事した。1794年、マリエッタの郵便局長に選ばれたのを皮切りに、1798年にはオハイオ準州の判事にも選ばれた。さらに1803年には初代のオハイオ州最高裁長官職を得た。翌年、ジェファソン大統領はメグズをアッパー・ルイジアナ地域の軍司令官に指名した。メグズは長官職を辞し、ジェファソンの辞令を受諾した。1806年に健康上の理由でマリエッタに戻ったが、1807年にオハイオ州知事選挙の候補者となった。対立候補よりメグズの得票数は上回っていたが、知事就任の要件を満たさないという理由で州議会はメグズの知事就任を認めなかった。その代わりに州最高裁の判事職がメグズに与えられた。
 1808年12月、州議会はメグズを連邦上院議員に選出した。さらに2年後、メグズはオハイオ州知事に当選し2期務めた。2期目は1812年戦争が起きた時期であり、メグズは1200名の民兵を招集してウィリアム・ハル将軍の下に派遣している。1814年3月、郵政長官任命を受けて州知事を退任した。
 9年間に及ぶ在職期間中に、全国の郵便局の数は約3000から約5200に増大した。さらに郵便網の総距離数も4万1000マイルから8万5000マイルに拡充された。モンロー政権でも引き続き留任した。

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