海軍長官ウィリアム・ジョーンズ


ウィリアム・ジョーンズ(1760-1831.9.6)は、ペンシルヴェニア植民地フィラデルフィアで生まれた。ベツレヘムの造船所で徒弟奉公していたことの他は家族についても幼少時についてもほとんど分かっていない。16才の時、独立戦争に志願兵として参加した。その際、トレントンの戦いとプリンストンの戦いに参戦している。それから海軍に身を投じた。2回負傷し、2回捕虜となった。
 1790年代初期に商船員をしていたことの他は戦後の経歴は定かではない。1793年にチャールストンからフィラデルフィアに戻り、海運商として生計を立てた。民主共和党の一員として政治に関わるようになり、連邦下院議員に選ばれ、1801年から1803年まで在職した。1801年に海軍長官就任をジェファソンから打診されたが、ジョーンズはそれを引き受けなかった。連邦下院議員の任期終了後、ジョーンズはフィラデルフィアに戻った。
 1812年12月にマディソンから海軍長官就任を打診されると、気が進まないながらも引き受けた。ジョーンズはエリー湖、オンタリオ湖、シャンプレーン湖に造船所と補給所を建設した。こうした整備が功を奏して、エリー湖でもシャンプレーン湖でもアメリカ海軍は勝利を収めることができた。海軍長官を辞する前にジョーンズは議会に海軍再編計画を提出している。その中で、戦艦の建造と軍需物資の調達を監督し、艦隊の配置について海軍長官に助言する海軍委員会の設置を勧めている。
 海軍長官としての職務の他にジョーンズは1813年5月から1814年2月まで財務長官代理を兼ねている。財務長官代理としてジョーンズは軍資金を賄うために増税を進言したが聞き入れられなかった。
 退任後、ジョーンズは第2合衆国銀行の総裁に任命された。合衆国銀行の内陸部の支店に地場産業を支援するために積極的な融資を行なわせた。そうした融資は内陸部への資本の急激な移動をもたらした。それを抑止するために合衆国銀行は西部と南部に対する貸付を削減したので、金融危機を引き起こす原因となった。下院による調査で不適切な管理体制といくつかの銀行における不正が明らかになり、ジョーンズは1819年に更迭された。
 その後、ジョーンズは汽船業で成功を収めた。1827年から1829年にかけてフィラデルフィア港の関税徴収官を務めた。1831年にベツレヘムで亡くなった。

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