最高裁長官ジョン・マーシャル


ジョン・マーシャルの経歴については、ジョン・アダムズの項、副大統領/閣僚/最高裁長官、国務長官ジョン・マーシャルを参照せよ。前政権からマーシャルは引き続き在職した。
 民主共和派の政権とマーシャルは衝突することが多かったが、1807年以降、そうした衝突は緩和された。司法府はマディソン政権の禁輸政策実施に協力した。1809年の合衆国対ピーターズ事件でペンシルヴェニア州が裁判所の命令に公然と抵抗した際に、マディソンは司法府を支持した。そうした支持の下、1810年に最高裁は合衆国憲法に反する州法を初めて無効にした。同年のフレッチャー対ペック事件では、ジョージア州が公有地の払い下げを廃止したことに対して、合衆国憲法第1条第10節1項に基づき、違憲判断を下した。マーシャルは、各州は契約上の義務を損なうような法律を定めてはならないという「契約義務」条項を有効に解釈することにより、各州の市民をその州政府の不法行為から守る先例を打ち立てた。マーシャルは次政権でも引き続き在職した。

ジェームズ・マディソン大統領歴代アメリカ合衆国大統領研究