最高裁長官ジョン・マーシャル


 ジョン・マーシャルの経歴については、ジョン・アダムズの項、副大統領/閣僚/最高裁長官、国務長官ジョン・マーシャルを参照せよ。マーシャルはジョン・アダムズ政権末期に最高裁長官に指名された。連邦派としてマーシャルは強力な中央政府の形成と司法府の独立性の確立に著しく貢献し、偉大な最高裁長官の1人として歴史に名を残している。またマーシャルは、合衆国憲法を単なる各州の契約ではなく、実質的に合衆国国民による憲法に昇華させたと評価されている。ジェファソン政権下で、強固な連邦派としてマーシャルの存在感が増した。
 1803年、マーベリー対マディソン事件では、連邦議会の行為の違憲性を認め、司法府の判断が立法府の判断に優越するという原理を確立した。この事件は、政権末期にジョン・アダムズが連邦派を公職に任命したが、そうした任命の発令をジェファソンとマディソンが拒否したことが発端である。争点は、マーベリーが辞令を受ける権利はあるかという点と、もしその権利を有するのであれば、最高裁が職務執行令状を発行することで救済が可能であるかという点であった。前者についてマーシャルはマーベリーが辞令を受ける権利があると明言し、新政権がその責務を全うしていないと譴責した。しかし、後者については、最高裁は職務執行令状を発行することで救済することはできないとした。なぜなら、最高裁が職務執行令状を発行する権限は憲法に定められていないからである。それは、立法府が1789年裁判所法で違憲でありながら最高裁の職務として付け加えた権限に過ぎないとマーシャルは断定し、連邦議会の立法の違憲性を問うた。
 また最高裁判事サミュエル・チェイスが職務上の不法行為ならびに職権濫用で提訴され、司法府は独立の危機を迎えた。上院において、チェイスの弾劾裁判は1804年11月30日から始められた。チェイスは強固な連邦派として知られ、ジェファソン政権と対立した。審議の結果、翌1805年3月1日にチェイスは弾劾から免れ、危機は回避された。もし弾劾が成立していれば、党派的な理由で判事か辞めさせられることを意味し、司法府の独立を阻害しかねなかった。
 さらにアーロン・バーが反逆罪で告訴された際に、マーシャルは憲法の反逆罪に関する規定を忠実に解釈し、無罪を宣告した。マーシャルは次政権でも引き続き在職した。

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