埼玉県の農婦
 昭和天皇の全国巡幸中の逸話を一つ紹介。新井ハル子さんは巡幸当時、埼玉県埼玉村の農婦で義母の木村ヒデさんとともに農作業に勤しむ毎日を過ごしていた。ある日、そんな二人のもとに突然、昭和天皇に麦の取り入れ作業をする様子をご覧に入れるようにと役場から通達が来たという。二人は懸命に辞退したが聞き入れられなかった。  

 二人は事前に事細かな注意を受けた。御行列を見送る時の敬礼の仕方は定められていたが、国民一般が昭和天皇から質問された場合にどのように答えたらよいかは特に決められていなかった。そのため二人は「絶対に返事しないように」と何度も念を押されることになった。おそらくこうした注意がなされたのは、昭和天皇が臨機応変に言葉をおかけになれるどうか侍従たちが危惧していたことにも原因がある。昭和天皇は、もともと熟考してゆっくり物をおっしゃる性格なうえにごく普通の語彙が乏しかった。そのため「こういう言い方をしたが、あれでよかったろうか」とよく侍従にお聞きになっていたという。  

 昭和21年3月28日の麗らかな午後、昭和天皇は埼玉村で下車し、麦畑に足を踏み入れられた。農業会会長の説明を受けながら、モンペ姿の二人の前にやってきた昭和天皇は、「とにかく、大変だろうけど頑張ってください」とお声をかけて立ち去られたという。昭和天皇がお言葉をかけている間、二人は無言で敬礼したままだった。昭和天皇のお顔すらまともに見ることはできなかったというが、新井さんは「陛下とおあいできたということは、何ともいない誇りです。人生を歩む上での最高の縁ですよ」と印象深く振り返っている。

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