大分巡幸
 戦後、大分県では、防空壕生活を余儀なくされた戦災者や残飯やモク拾いをする浮浪者が町に溢れた。さらに風水害が終戦直後に相次ぎ、米の生産高は僅か半分に落ち込んだ。多数の餓死者を出した飢餓状態は昭和25年頃まで続いた。県下ではヤミ米が出回り、密造酒がはやった。メチル=アルコールを飲んで命を失う者さえ現れた。また赤痢が猛威をふるい多くの人々が命を落とした。

 大分巡幸は、6月7日から6月10日にかけて行われた。6月7日午後12時40分、宮崎県から宗太郎トンネルを越えて御召列車は大分県に入った。まず佐伯で奉迎を受けられた天皇陛下は、津久見・臼杵・幸崎・佐賀関と回られ、御宿泊所である別府日名子旅館に向かわれた。日名子旅館では、別府の湯がお気に召したらしく、普段は3、4分しか湯船におひたりにならないのに15分もおひたりになられた。6月8日は九時に御宿泊所をご出発になり、大分市内と別府市内各所を巡られた。この日、トキハ百貨店では平日来客数の約30倍もの人が押し寄せたという。大分市奉迎場での光景を大分合同新聞は次のように報じている。

「場内を埋めた奉迎者はわれらの天皇を雨と涙にぬれた顔であおぎ一瞬しんと静まりかえったが、ふいに群衆の真ん中から一本の旗が狂ったようにうち振られ万歳を絶叫したのをきっかけにあらしのような万歳が雨空を圧してとどろきわたった。ブラス・バンドに合わせて6万人の『君が代』合唱が場をゆるがし細田知事の音頭で万歳の三唱に陛下は帽子を強く振ってお応えになり、壇を降りられてからも振りかえり振りかえり帽子を振ってお名残を惜しまれた」  

 続く6月9日は杵築を皮切りに宇佐、柳ヶ浦、中津、日田を巡られた。中津では福沢諭吉旧宅を、日田では碩学広瀬淡窓の咸宜園跡をご訪問になった。日田は十二代景行天皇以来1900年振りの天皇巡幸であり、市内を流れる三隅川では鵜飼と提灯行列が行われた。6月10日は大分巡幸最終日である。御宿泊所で筏流しをご覧になった後、玖珠郡にお入りになり、各所にお立ち寄りの後、耶馬溪村の太平橋を渡って福岡県に抜けられた。
お言葉
●「年はいくつ」(昭和24年6月4日)

 宮崎巡幸の際に民生館にお立ち寄りになった天皇陛下は子どもにお声をかけられた。

●「裕仁です」(昭和24年6月4日)

 宮崎巡幸の際に都城市の母子寮で、昭和天皇は自らお名前を告げられた。天皇陛下が諱を御自ら口にされるのは珍しいことである。 ●「しっかり勉強して立派な人になって下さい」(昭和24年6月4日) 同じく都城市の母子寮で、昭和天皇は子どもにお声をかけられた。

●「高千穂ですね。あれで頂上まで見えているのですか」(昭和24年6月4日)

 宮崎巡幸の際に都島展望台に登られた天皇陛下は眺望をお楽しみになった。

●「随分いろいろ苦しいでしょう。特に衣料不足で困っているだろうが、食料増産のためにしっかり働いて下さいネ」(昭和24年6月4日)

 宮崎巡幸の際に、昭和天皇は小松原奉迎場でお迎えした人々に親しくお言葉を賜った。

●「観光施設をどう考えているのか」(昭和24年6月5日)

 県知事の奏上をお聞きになった昭和天皇はご下問された。

●「大型のカツオ船にも無線機はあるのかネ」(昭和24年6月5日)

 御宿泊所紫明館で水産業関係者から奏上をお聞きになって昭和天皇はご質問された。

●「お母さんの言うことをよく聞いてください」(昭和24年6月6日)

 宮崎巡幸の際に昭和天皇は、母子寮をご訪問になり、子どもたちにお言葉をかけられた。

●「どうしたの。可哀想にネ。早く治るよう祈ります」(昭和24年6月6日)

 宮崎巡幸の際に昭和天皇は国立療養所にお立ち寄りになり、患者たちを励まされた。

●「さぞつらいでしょうネ。今どんな仕事をしていますか。しっかりがんばって下さいネ」(昭和24年6月6日)

 高鍋奉迎場で天皇陛下はお迎えした傷痍者にお言葉を賜った。

●「漁師の健康状態は」(昭和24年6月7日)

 門川漁港で奏上をお聞きになった昭和天皇はご下問された。

●「このカツオはいつとれたの」(昭和24年6月7日)

  門川漁港で水揚げしたカツオをご覧になった昭和天皇はご関心を示された。

●「どのくらいの船が入るのかネ」(昭和24年6月7日)

 細島港をご視察された昭和天皇はこうご下問された。

●「港の発展を祈ります」(昭和24年6月7日)

  同じく、細島港で昭和天皇はお言葉を賜った。細島港は同月に貿易港指定を受けている。

●「重要な輸出産業だからしっかりやって下さい」(昭和24年6月7日)

 旭化成ベンベルグ工場をご視察になった天皇陛下は激励のお言葉を述べられた。

●「乾燥した糸をなぜ湿潤させるのですか」(昭和24年6月7日)

 同じく、旭化成ベンベルグ工場で天皇陛下は紡糸工程に関してご質問された。

●「随分永年勤続されて御苦労様です」(昭和24年6月7日)

 天皇陛下は旭化成ベンベルグ工場屋上で従業員代表にお声をかけられた。
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