佐賀巡幸
 佐賀県は戦前より石炭業が窯業と並んで重要な産業であったが、出炭高は終戦直後、100万トンを下回った。しかし、昭和21年以降、政府の傾斜生産方式に基づいて資本の重点的配分を受け、県下の石炭業はようやく息を吹き返した。天皇陛下が佐賀県をご訪問になった昭和24年は佐賀の石炭業が黄金期を迎えようとする頃であった。  

 佐賀県では前23年7月、徳田球一事件が起きている。佐賀市公会堂で演説を行っていた徳田共産党書記長に向かって手榴弾が投げつけられた事件である。また同じく7月には「行李詰め死体事件」が起きた。生活に困窮した戦災未亡人が一家心中をこころみ、幼児を殺害、死体を行李に詰め鉄道便で神戸に送ろうとした事件である。昭和天皇の佐賀巡幸は、このような暗いニュースに沈みがちな県民の心を明るくするニュースであったに違いない。  

 佐賀巡幸は5月22日から24日にかけて行われた。また5月28日に長崎県から福岡県へのご帰途で佐賀県を通過されている。天皇陛下のご到着を佐賀新聞は次のように報じている。  

「朝陽に新緑映える22日澄みきったくん風のなかを陛下のお車が福岡からの県境を越えた。万歳の声、歓呼の嵐、この日この時をこそ90万県民は待ちこがれていたのだ。基山街道には日の丸の旗、日の丸の波、車窓からは温かいまなざしにうるむ陛下の御顔、わきあがるどよめきごとに軽くうなずかれる慈しみの御顔。湧きおこる感激のどよめき、お迎えにはずむ県民の顔、陛下のお顔、群衆の顔―車窓と街路のへだてはあっても陛下の御顔は群衆にせまり県民の顔は車窓に慕いよって『人間天皇』のお姿は早くも温かい心のかよいにくっきりと刻みつけられた。緑の小道を縫って陛下は戦災引揚孤児洗心寮に第一歩、30年振りに佐賀の土をお踏みになった」
御製
海の底のつらきにたへて炭ほるといそしむ人ぞたふとかりける
お言葉
●「暑くないかネ」(昭和24年5月29日)

 福岡巡幸の際に、三池鉱業所をご視察された昭和天皇は、炭鉱夫たちの労働状況をお気遣いになられた。

●「苦しいだろうが採炭は大切な仕事だからしっかりがん張ってください」(昭和24年5月29日)

 同じく三池鉱業所で天皇陛下は、炭鉱夫たちを激励された。 ●「換気は大丈夫か」(昭和24年5月29日) 同じく三池鉱業所で天皇陛下は、炭鉱夫たちの労働状況をお気遣いになられた。
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