宮崎巡幸
 戦時中、宮崎県下では空襲により宮崎、延岡、都城、高鍋、油津、富島などが大きな被害を受けた。さらに終戦直後に襲った枕崎台風など大型台風により宮崎県は2万戸以上が全半壊するという被害を受けた。農産物生産高、工業生産高ともに終戦直後は最盛期の半分以下に落ち込んでいた。昭和24年頃は生産高がようやく回復の兆しを見せ始めた時期にあたる。  宮崎巡幸は、6月5日の御休養日を挟んで、6月4日から6月7日にかけて行われた。 御休養日は亜熱帯植物が生い茂る青島でお過ごしになった。天皇陛下は大正九年にも青島をご訪問になっている。宮崎巡幸での挿話を一つ紹介したい。

 6月4日、鹿児島県から御召列車が都城駅に到着する30分前、1人の老婆が御料車に顔をすり寄せて拝んでいた。この老婆は御料車の菊の御紋を何度も何度もなでさすり、「これで冥土へのよい土産が出来ました」と言い残して去っていった。似たようなことは石川県小松市の奉迎場でも起きている。天皇陛下が奉迎場を後にされた途端、1人の老婆がそれまで天皇陛下がお立ちになっていた奉迎台に駆け寄り、台上の砂を掻き集めた。こうした挿話は「人間宣言」の後も、昭和天皇を神格視する人々がいたことを示している。  
 
 宮崎巡幸を終えられるにあたって、昭和天皇は、鈴木行幸主務官を通じて次のようにご感想を述べられた。

「各地の戦災はまことに気の毒だがいろいろの住宅や種々の事業の復興が進んでいる実情を見聞して心強く思う。建築資材が豊富であると聞いたが要するにり災者はじめ関係者の熱意と努力によるところが大きいから、今後も一層労力を続けてほしい。また宮崎県は農林業をはじめ工業、水産などみるべきものがあり、はげしい時勢の変化に応じ、あらゆる苦難を打開して堅実な工夫と努力を続けているのは頼もしい。このたびは県民の心からの歓迎を受けてうれしく思う。これからもいろいろ辛いこともあるだろうがどうかこの試練にたえ日本再建のために努力してほしい」
お言葉
●「苦しいでしょうが再建のため元気を出して下さい」(昭和24年6月1日)

 鹿児島巡幸の際、川内市奉迎場に赴かれた天皇陛下はお迎えした戦災者たちをいたわられた。

●「離島の種子ヶ島屋久島方面にもぜひ行きたいと思っていたが、都合がつかず残念でした。よろしく伝えて下さい」(昭和24年6月2日)

 同じく、岩崎谷荘で知事から奏上をお聞きになった天皇陛下は巡幸予定地から外れた地方に対してご配慮を示された。なおこの当時、奄美群島は分断統治のために鹿児島県から分離されていた。

●「ますます努力して日本再建のためにつくして下さい」(昭和24年6月2日)

 鹿児島巡幸の際、天皇陛下は加治木奉迎場に臨まれ、お迎えした人々をお励ましになられた。

●「県財政の苦しい折柄戦災学校の復旧など大変だろうが、鹿児島県民は熱意があるから必ず復興するだろう」(昭和24年6月2日)

 御宿泊所の岩崎谷荘で重成知事から約30分にわたる奏上をお聞きになった天皇陛下はこのようなお言葉を賜った。

●「それはほんとに気の毒でしたね」(昭和24年6月2日)

 鹿児島巡幸の際、加治木町で空襲により14名の中学校生徒が焼死したことをお聞きになった天皇陛下はこうおっしゃった。

●「大切な農作物です。しっかりやって下さることを希望します」(昭和24年6月2日)

 鹿児島巡幸の際、加治木奉迎場に臨まれた後、昭和天皇は煙草耕作地をご視察になり、代表者を激励された。

●「ホホウ、こんな卵から薩摩鶏はかえるんだね」(昭和24年6月2日)

 御休養日の午後、昭和天皇は御宿泊所の庭先で天然記念物の薩摩鶏をご覧になった。

●「陶土は何処から出るの」(昭和24年6月3日)

 鹿児島巡幸3日目、昭和天皇は県庁で薩摩焼をご覧になり、こうお尋ねになった。

●「大分できるんだね」(昭和24年6月3日)

 同じく県庁で天皇陛下は焼酎をご覧になった。天皇陛下はその他に桜島大根や竹製品などをご覧になった。

●「戦災がひどかったのは気の毒でしたね」(昭和24年6月3日)

 県庁をご訪問の後、天皇陛下は城山から鹿児島市内の復興状況を望まれた。

●「しかし、今聞いてみると復興が早くよかったですね」(昭和24年6月3日)

  同じく城山から天皇陛下は鹿児島市内の復興状況を望まれた。

●「おお、かわいい・・・ありがとうね」(昭和24年6月3日)

 鹿児島奉迎場で一連の歓迎を受けられた後、昭和天皇は御料車に向かわれようとした。昭和天皇は一人の振袖姿のアメリカ人少女が捧げる花束を受け取られ何度も「グッドバイ」とおっしゃりながら握手を交わされた。この少女は鹿児島県軍政部モード・スミスさんの長女ルーズちゃん当時7歳。

●「お利口ね」(昭和24年6月3日)

 鹿児島巡幸の際、仁風寮をお訪ねになった昭和天皇は、子供に「おいくつ」とご質問になった。子供の答えに対して天皇陛下は微笑まれてこうお褒めになった。

●「良い子になるんだヨ」(昭和24年6月3日)

 同じく仁風寮で昭和天皇は、子どもに微笑まれながらお声をかけられた。

●「こんな大きなものがとれるの」(昭和24年6月3日)

 鹿児島巡幸の際、鹿児島水産専門学校をご視察された天皇陛下は、シロカワジキとバヤウカジキの標本をご覧になった。

●「このコケは各地に沢山発生していますか」(昭和24年6月3日)

 同じく鹿児島水産専門学校をご視察された天皇陛下は、鹿児島特産のカワゴケ草の生息状況についてお尋ねになった。

●「おかげで立派な田畑になりました」(昭和24年6月4日)

 鹿児島巡幸最終日、昭和天皇は野井倉開墾地をご視察され、60年にわたって開墾に尽力した野井倉夫妻にお言葉を賜った。

●「ホウこれは可愛い」(昭和24年6月4日)

 鹿児島巡幸最終日、天皇陛下は末吉町にお立ち寄りになり、優良牛馬を愛でられた。

●「県内の色々なものと施設を見せて貰って非常に参考になった」(昭和24年6月4日)

 鹿児島県巡幸を終えるにあたり、昭和天皇は案内を務めた重成知事にお言葉を賜った。

●「農村漁村でも積極的に資源の開発と、生産充実に努力しているようであるが、今後もますます努力してもらいたい」(昭和24年6月4日)

 巡幸最終日に天皇陛下は鈴木行幸主務官を通じて記者団の質問にお答えになった。

●「本県では多く雨天であったため出迎えの人々に誠に気の毒であった。子供や老人や体の弱い人々にさわりはなかったかと心がかりだが、皆の誠意はうれしく思った」(昭和24年6月4日)

 巡幸最終日に天皇陛下は鈴木行幸主務官を通じて記者団の質問にお答えになった。

●「今後、いろいろ困難なこともあろうがますます生活の充実と、日本再建のためつくしてもらいたいと思う」(昭和24年6月4日)

 巡幸最終日に天皇陛下は鈴木行幸主務官を通じて記者団の質問にお答えになった。

●「長い旅行であるので、少しはつかれるようだが、迎えてくれる国民の誠意でつかれもわすれてしまうから心配しないでほしい」(昭和24年6月4日)

 巡幸最終日に天皇陛下は鈴木行幸主務官を通じて記者団の「こん度のご巡幸は長途でいそがしい日程でございますのでおつかれになりませんでしたか」という質問にこうお答えになった。

●「機会さえあればね」(昭和24年6月4日)

 巡幸最終日に天皇陛下は鈴木行幸主務官を通じて記者団「皇后さまとご一緒にご巡幸を希望しておりますが」という質問にこうお答えになった。
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