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アメリカ歴代大統領研究ポータル

明日は我が身とはよく言ったもの

ノーベル賞を受賞した大統領


セオドア・ルーズベルト大統領

 歴代大統領の中で初めて受賞したのは、1906年に受賞したセオドア・ルーズベルト大統領である。またノーベル賞を受賞した初めてのアメリカ人でもある。
 ルーズベルトの代理人がノルウェーを訪問してノーベル賞受賞演説を行っている。ルーズベルト自身は大統領退任後の1910年にノルウェーを訪れている。

ノルウェー訪問中のセオドア・ルーズベルト(1910年)
ノルウェー訪問中のセオドア・ルーズベルト(1910年)
 ルーズベルトの受賞理由は、日露戦争をポーツマス条約の斡旋で終結に導いたことである。ノーベル平和賞を受賞したからといってルーズベルトが平和主義者だったかというとまったく正反対である。ルーズベルトは、「わが国は戦争を必要としている」と言って荒馬乗りを率いて米西戦争で大暴れしている。また「戦争または戦争に類した行為で敢えて冒険をおかすものこそ、けだし最上の讃辞に値する人々である」とまで言っているので平和主義者では決してなかった。

セオドア・ルーズベルトの風刺画(1907年)
ルーズベルトの風刺画
 平和主義者ではないルーズベルトがノーベル平和賞を受賞したことは、当然、風刺の対象になっている。この風刺画はルーズベルトが平和主義者どころではなく戦争主義者であることを示している。
 セオドア・ルーズベルトが荒くれ騎兵の装束を身に纏っている。ズボンのポケットにはノーベル平和賞が入っている。その一方で右側には棍棒(海軍力の象徴)が立てかけられている。
 さらにルーズベルトは、ジョン・トランブルが描いたジョージ・ワシントンの肖像画にある「戦争で一番、平和で一番、国民の心の中で一番」という言葉を書き換えている。「戦争で一番、平和で一番、国民の心の中で一番」という言葉はワシントンの弔辞として最も有名な言葉である。ルーズベルトは「一番」という言葉をすべて「二番」に変えようとしている。床に置かれている本には「Alone in Cuba」というタイトルが見える。それはルーズベルトが米西戦争の時に荒くれ騎兵を率いてキューバに赴いた時の記録である。

ウッドロウ・ウィルソン大統領

ノーベル賞受賞メダル(表) ノーベル賞受賞証明書
(上) 受賞証明書類
(左) 受賞メダル
ノーベル賞受賞メダル(裏)
 次にノーベル平和賞を受賞した大統領は、1919年に受賞(授与は1920年)したウッドロウ・ウィルソン大統領である。受賞理由は、世界平和の達成に尽力し、国際連盟設立を主導したことである。しかし、ウィルソンが望んだのにもかかわらず、議会の反対でアメリカは国際連盟に加盟できなかったので、ウィルソン自身は納得がいかなかったかもしれない。画竜点睛を欠くとはまさにこのことだ。
 ウィルソンはノルウェーを訪問していない。代理人がノーベル賞受賞演説を行った。確かにウィルソンは自ら構想に尽力した国際連盟にアメリカを加盟させることができなかったが、ルーズベルトに比べればノーベル平和賞にふさわしいように思える。

ジミー・カーター大統領

 ノーベル平和賞を受賞した三人目の大統領は、ジミー・カーター大統領である。ルーズベルトとウィルソンが在職中に受賞したのに対してカーターだけは離任後21年も経った2002年に受賞している。受賞理由は以下の通りである。

「国際紛争に関して平和的解決策を見つけ、民主主義と人権を推進し、そして、経済的・社会的発展を促進する数十年にわたる弛まない努力」

 具体的な受賞理由は、在職中に進めたエジプトとイスラエルの和平交渉の仲介を行ったことと人道的な取り組みに貢献したことである。さらに離任後にカーターは、カーター・センターを設立して発熱や激痛をもたらす寄生虫のメジナ虫撲滅プロジェクトやニューヨークのスラムに住居を建築するなど現在も人道的な取り組みに貢献している。2002年12月10日に授賞式が行われ、ノーベル賞受賞演説が行われた。
 こうした功績からカーターは「史上最強の元大統領」と呼ばれる。そして、「最初から元大統領であったらよかったのに」と揶揄される。後にも先にも大統領退任後にノーベル賞を受賞したのはカーターのみである。

バラク・オバマ大統領

ノーベル賞メダルを見るオバマ大統領
ノーベル賞メダルを見るオバマ大統領
 ノーベル賞を受賞した最後の大統領はバラク・オバマ大統領である。2009年のオバマの平和賞受賞理由は以下の通りである。

「国際的な外交と諸国民の間の強調を強化する類い稀な努力」

 具体的な受賞理由は、明らかにオバマの核なき世界という理念に期待感を抱いてのことである。2009年12月10日、オバマは授賞式に参加してノーベル賞講義を行った。
 よく指摘されることだが、ノーベル賞には政治的な意図が強く反映されている。そうした問題はオバマの受賞で示された。確かに核なき世界は理想であるが、残念ながらオバマはそれを実現できずに大統領の任期を終えることになった。

番外編 ケネディ大統領とノーベル受賞者達

ケネディ大統領とノーベル受賞者達(1962年)
ケネディ大統領とノーベル受賞者達
 1962年4月29日、ジョン・ケネディ大統領は49人のノーベル賞受賞者と124人の科学者や文化人をホワイト・ハウスの晩餐会に招いた。会場はステート・ダイニング・ルームとブルー・ルームである。その席でケネディ大統領は次のように言ったという。

「ホワイト・ハウスにこれほど優れた才能と人類の叡知が集ったことはなかった。トマス・ジェファソンが一人で食事した時を除いてね」

番外編 アル・ゴア副大統領

 また2007年にクリントン政権で副大統領を務めたアル・ゴアはもノーベル平和賞を受賞している。受賞理由は以下の理由である。

「人為的な気候変動に関する知識を大いに築いて広めて、気候変動の対策に必要な方策の基礎を築く努力」

 もしゴアが2000年の大統領選挙でジョージ・W・ブッシュに勝っていたら、オバマの前にノーベル平和賞を受賞した四人目の大統領になっていたかもしれない。