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アメリカ歴代大統領研究ポータル

世論調査
大統領候補討論会
 初期の選挙運動に関する討論会で最も有名なのは、1858年のイリノイ州の連邦上院議員選挙で共和党のエイブラハム・リンカーンと民主党のスティーヴン・ダグラスの間で行われた討論会である。討論会は、州の連邦下院議員選挙区のそれぞれで行われ、合計7回にわたって行われた。司会者の助けなしで、リンカーンとダグラスは特に奴隷制度に関して議論した。それまで無名だったリンカーンは「別れたる家立つこと能わず」演説で全国的な注目を浴びた。リンカンとダグラスの議論は論争を呼んだ。なぜなら議論が連邦上院議員を直接選ぶ州議会で行われたのではなく大衆の前で行われたからである。両者の議論は新聞や電信で伝えられたが、候補者による討論会の慣習を作り出すことはなかった。リンカーンは連邦上院議員選挙で敗れたが、1860年の大統領選挙でダグラスを破った。1860年の大統領選挙では討論会は行われなかった。
 1960年以前、候補者も有権者も公開討論会にほとんど興味を抱かなかった。本選で討論会は行われず、1948年、1952年、1956年に予備選挙で討論会が行われただけであった。1948年に共和党のハロルド・スタッセンとトマス・デューイの間でラジオ討論会が行われた。
 1960年の大統領候補によるテレビ討論会はアメリカ史上、初めて本選で行われた討論会である。選挙運動に関する改革運動の一環として議会は、1934年通信法のどの候補にも同じだけの放送時間を与えなければならないという規定を差し止め、2人の候補者によるテレビ討論会の実施を認めた。7,000万人の聴衆の前で9月から10月にかけてリチャード・ニクソンジョン・ケネディの間で4回にわたって討論会が行われた。討論会の議題は医療保険、教育、税制、外交問題などにわたった。テレビは数千万人の有権者に候補を実際その目で見る機会を与えた。政治コメンテーターはケネディの容姿と高い弁舌技量が勝利をもたらしたと分析した。
 1960年以降、1976年まで大統領候補による討論会は行われなかった。1976年までに候補者の姿勢と法が変化した。1976年、現職のジェラルド・フォード大統領ジミー・カーターの間でテレビ討論会が行われた。現職大統領が大統領選挙でテレビ討論会に参加した最初の例になった。
 1980年代と1990年代は大統領候補による討論会が選挙運動において最も話題に上った時期である。1980年9月、ロナルド・レーガンと無所属のジョン・アンダーソンの間で討論会が行われた。現職のカーター大統領はアンダーソンと議論するのを嫌って討論会に参加しなかった。
 1992年、テレビ討論会は9,700万人の視聴者を引き付けた。現職のジョージ・H・W・ブッシュ大統領ビル・クリントン、そして、ペローの3人の間で討論が行われた。本選で二大政党の候補者に加えてその他の候補者が参加して行われた初めての討論会であった。1992年、ヴァージニア州リッチモンドで3人の候補者が約90分間にわたって200人の参加者から質問を受け付ける形で議論を行った。この討論会の形式はタウン・ホール・ミーティングと呼ばれ、大きく注目された。