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アメリカ歴代大統領研究ポータル

オバマの演説術


まえがき

「オバマは希望を与えてくれた。私は戦争について心配している。家族を食べさせていくのがやっとで今後、何が起こるか心配だわ。十六年間、工場で働いてきたけど、今は私たちにとって厳しくなっている。食べ物かガソリンどっちを買えばいいか悩んでいる。オバマは私たちの声を聞いてくれるわ」―オバマと握手したある工場労働者の声

 人気ドラマ『24 TWENTY FOUR-』に登場するアメリカ史上初の黒人大統領デイビッド・パーマーは理想の大統領です。決断力に優れ人間的な魅力にも溢れた人物です。パーマー大統領役のデニス・ヘイバートは、「自分の感情をコントロールできる知性ある男」を演じることができるように心がけたそうです。ヘイバートは自分が演技の時に思い描いた大統領像とオバマが似ているとインタビューで答えています。
 『24』が放映される前にコリン・パウエルの大統領選出馬が一時取り沙汰されていましたが実現しませんでした。断念の理由は夫人がパウエルの暗殺を恐れたためだと言われています。
 その後、2001年から2006年まで『24』がテレビで放映されました。多くの人々が黒人大統領出現の可能性を好意的にとらえるようになったと思います。放映終了後もデニス・ヘイバートは、ファンから「大統領に立候補してください」とよく言われたそうです。オバマが颯爽と登場したのはまさにグッド・タイミングでしょう。
 リーダーとなる者は人の心を動かす言葉を持っていなければなりません。特に政治家は、自らの理想を、自らの信念を人々に明確に伝えなければなりません。「文は人なり」という有名な言葉がありますが、まさに言葉は人なのです。たった一言の失言により政治生命を失うこともあれば、たった一度の演説で不朽の名声を得ることもできます。政治家の権力は法律を源にしているのではなく、多くの人々の心を動かす能力を源にしています。
 人の心を動かすためには何が必要なのでしょうか。難しい言葉や巧妙な言い回しが必要でしょうか。確かにそれらも大事ですが、記憶に残る一言と明確なコンセプトが最も必要なのです。
 アメリカの歴史では過去に演説の妙手だと言われる人がたくさん登場しています。マーティン・ルーサー・キング牧師やエイブラハム・リンカーン大統領フランクリン・ルーズベルト大統領、そして、ジョン・ケネディ大統領などが代表的な例でしょう。
 リンカーンはかの有名なゲティスバーグ演説の中で、「ここで私たちが言うことには世界はほとんど注目もしないでしょうし、記憶に長くとどめることもないでしょう」と言っていますが、新しい自由について説いた演説は不朽の名演説としてその名を歴史にとどめています。
 本書では、バラク・オバマとヒラリー・クリントンの戦いの軌跡を追っています。2008年の民主党大統領予備選は稀にみる激戦でした。こうした緊迫した状況下では、たった一つの失言が明日の敗北につながります。またはたった一つの名文句が明日の勝利につながります。それは、あなたの身にもいずれ起こることかもしれません。本書により人を動かす言葉を学んで下さい。
 本書はオバマの言葉は、なぜ人の心を動かすのかを焦点においているのでオバマとクリントンの政策論争の詳細については述べていません。それは2008年の予備選挙は政策が主な争点ではなく、イメージとそれを形作る人々の心をとらえる言葉がより重要だったからです。本書は、オバマが人々の心をとらえた言葉と戦略を余すところなく紹介する本です。

予備選の死闘

出鼻を挫け、ヒラリーの独走阻止

 民主党のケリーが敗れた2004年11月、その直後に行われた世論調査で、次の大統領候補にという呼び声が最も高かったヒラリーは、2007年の出馬表明以来、資金力と知名度で圧倒的な優位に立っていました。さらに夫のビル・クリントン元大統領のバックアップや黒人有力議員の支持を得たりするなど着実に地歩を固めたのです。大統領の椅子獲得へ絶対的な自信をのぞかせるヒラリーの独走を阻止するためにオバマは何をしたのか。

Ordinary people can do extraordinary things; because we are not a collection of Red States and Blue States, we are the United States of America; and at this moment, in this election, we are ready to believe again.
「平凡な人々こそ非凡なことを成し遂げます。なぜなら我々は民主党支持の州や共和党支持の州の寄せ集めなどではなく、我々はアメリカ合衆国だからです。そして、まさにこの瞬間に、この選挙で我々は再び信じようではありませんか」
―バラク・オバマ

How will we win in November 2008 by nominating a candidate who will be able to go the distance and who will be the best president on day one? I am ready for that contest.
「最後まで頑張って、変化が始まる初日に最適な大統領になれる候補を指名すれば本選で勝てるでしょう。戦う準備はできているわ」
―ヒラリー・クリントン

 全米最初の党員集会が開かれるアイオワ州で、まずはヒラリーの出鼻を挫こうとオバマは人々の政治不信を払拭するために熱く語りかけました。人々に希望、そして変化を再び信じるよう訴えかけました。
 「オバマは既に人々に大きな変化をもたらしたと思う。黒人がみんなの代表となり、うまくやれることを白人も黒人も分かり始めたようで嬉しい」とある男性は語っています。一方、ある女性はヒラリーに対して「同じような既得権益の政治はいらないわ。それにホワイトハウスにクリントンは二度もいらないわよ」と語っています。
 オバマの言葉は若者や無党派層の心をとらえました。オバマは理想の大統領像を示し、人々の間ではびこる政治的無関心を打破したのです。その結果、大接戦の末にオバマはアイオワ州を制し、緒戦を勝利で飾りました。

 オバマの戦略を斬る

 シニシズム(Cynicism)対策。政治不信を払拭すること。いつの世も有権者は、どうせ政治家なんて誰も同じで信じられないと思っているもの。まず信じさせるにはどうするか。有権者の疑いを吹き飛ばすためには言うべき言葉はただ一つ、「信じる」。単純だが最も有効的な手段は、「信じる」をとにかく繰り返すこと。

惜敗するも、「きっと私たちはできる」演説で捲き返すオバマ

 ヒラリーは初戦での敗北を取り戻そうと善戦、オバマの経験不足を指摘しました。ヒラリーは自分の実績を強調し、オバマの変化や希望は言葉だけに過ぎないと攻撃しました。
 オバマはヒラリーの攻撃にもめげずに、「きっと私たちはできる」を合言葉に演説を展開し、徐々に人々の心をとらえていきました。
 ある女子学生は、「オバマは私に立ち上がって戦う力を与えてくれる。オバマは何か違うわね」と言っています。オバマには人々に勇気と自信を与える力があるのかもしれません。
ニューハンプシャー州の投票日先日の7日、ヒラリーは「私はアメリカから多くの機会を得たから、私たちが後退してしまうのを見たくないだけよ」と言った時に感情が昂ぶって涙ぐんでしまいました。これまでの「冷徹な女」というイメージが少し崩れ、多くの人々がヒラリーの内なる情熱に気が付いたのです。
 ヒラリーをカフェで見かけたある女性は、「ヒラリーは本当に疲れているようだったわ。ヒラリーは他の候補者よりもたくさんの視線にさらされているわ。どんなに装っていてもどんなに笑っていてもね」と同情を示しています。 
 緒戦に続くニューハンプシャー州で敗れたとはいえ互角の戦いができたことはオバマに大きなプラスとなりました。ニューハンプシャー州はほとんど白人しかいない州です。そんな州でも善戦できたことは黒人の支持のみならず、白人の支持も集められる実力をオバマが持っていることを示しています。特に「きっと私たちはできる」演説は人々に大きな自信を与え、オバマが救世主だというムードを盛り上げました。

‘Yes We Can’ speech
「きっと私たちはできる」演説

Yes we can to justice and equality. Yes we can to opportunity and prosperity. Yes we can heal this nation. Yes we can repair this world. Yes we can.
「公正と平等に『きっと私たちはできる』。機会と繁栄に『きっと私たちはできる』。きっと私たちはできる、アメリカを癒すことが。きっと私たちはできる、この世界を修復することが。きっと私たちはできる」

We are one people; we are one nation; and together, we will begin the next great chapter in America’s story with three words that will ring from coast to coast; from sea to shining sea ? Yes. We. Can.
「私たちは一つの国民、私たちは一つの国家、そして一緒になってアメリカの歴史の偉大なる次の章を始めようではありませんか。海岸から海岸へ、海から輝きの海へ響き渡る三つの言葉とともに。きっと、私たちは、できる」
―バラク・オバマ

 実はこの「きっと私たちはできる」は2003年の上院選挙でも使われたモットーです。オバマは、共和党対立候補のアラン・キーズのネガティブ・キャンペーンに対して反撃はできるだけせずに希望と連帯を前面に打ち出すことで勝利しました。「きっと私たちはできる」はオバマにとって最も馴染みが深い言葉なのです。さらにこの「きっと私たちはできる(Yes we can)」はオバマの選挙スローガンである「変化、それは信じることができること(Change We Can believe in)」と実によくあっています。
 ジョン・ケネディの「アメリカを再び動かそう(Let’s Get America Moving Again)」というスローガンやロナルド・レーガンの「アメリカを再び偉大に(Make America Great Again)」というスローガンと並んで記憶に残るスローガンです。
 この「きっと私たちはできる」演説は動画投稿サイトのYouTubeで実に100万回以上の再生回数を記録しています。オバマの公式サイトと合わせればもっと多くの人々が見たでしょう。さらにこの演説にインスピレーションを得たミュージシャンが曲を作りました。演説と同じくYouTubeに投稿されたその曲の再生回数は800万回を超えています。
 そのミュージシャンは、演説を聞いた時の感想を「釘付けになった。感激した。自分の人生を振り返って、自分が授かった恩恵とそうしたもののために戦ってくれた人々のことを思い出した」と綴っています。

オバマの戦略を斬る

 サウンドバイト(soundbite)戦略。政治家は有権者に顔と名前を覚えてもらうのも仕事の一環。できれば自分の主張もちょっとは知ってもらいたい。でも長々と喋ってもニュースで流されるのは数秒間。では初めから流されやすい形にしておけばいい。「きっと私たちはできる」演説には、ニュースで流しやすい短くて手頃な名文句がしっかりとちりばめられています。

オバマの圧勝、ヒラリーの独走阻止に成功

 勢いを増すオバマを前にしてヒラリーは女性とブルーカラー層の圧倒的な支持に綻びが出ないように支持固めに走りました。
 その一方で、オバマは「過去対未来」という人種や性別を超越した二項対立を打ち出したのです。いったいどのような狙いがあったのでしょうか。オバマはそれだけではなく「きっと私たちはできる(Yes we can)」を定着させることにも成功しています。

The choice in this election is not between regions or religions or genders. It’s not about rich versus poor; young versus old; and it is not about black versus white. It’s about the past versus the future.
「この選挙における選択は地域、宗教、性差によるのではない。富者と貧者でもなく、若者と高齢者でもなく、そして黒人と白人の選択でもない。まさに過去と未来の選択なのです」

Yes, we can. Yes, we can change. Yes, we can. Yes, we can heal this nation. Yes, we can seize our future.
「きっと私たちはできる。きっと私たちは変わることができる。きっと癒すことができる、アメリカを。きっと私たちは未来をつかむことができる」
―バラク・オバマ

 I never thought we would see  the day when an African-American and a woman were competing for the presidency of the United States.
「アメリカ系アメリカ人と女性が大統領の椅子をめぐって争う日が来るとは思いもよりませんでした」

It is the middle class and working families in America, and we want to give everyone a chance at upward mobility.
「中流階級と労働者の世帯がアメリカを偉大にしたのです。だからすべての人に這い上がるチャンスを与えたい」
―ヒラリー・クリントン

 サウスカロライナ州は黒人の人口比が高い州で、ここでオバマがどれだけヒラリーと差をつけられるかが今後の黒人票の趨勢を決定します。オバマは過去の政治からの脱却と新しい政治の導入を約束して多くの人々の支持を集めました。
 過去の政治とは、特殊権益と絡み合った中央政界そのものであり、長年ワシントンで活躍してきたヒラリーももちろん含まれます。そして未来の新しい政治とは、さまざまな不安を抱えているアメリカ国民に勇気と希望を与え、ブッシュ政権の下でますます広がった分断を修復する政治に他なりません。
 オバマが打ち出した過去対未来という二項対立は連帯を呼びかけるのには好都合なのです。オバマが有権者に黒人の代表だと判断されれば幅広い得票ができません。しかし過去対未来であればその心配はありませんし、オバマの立場もはっきりします。優れた二項対立の設定です。オバマは白人と黒人の連帯を訴えかけ、圧倒的な黒人票に加え、一定数の白人票も集めることに成功しました。
 ヒラリーは黒人に人気が高い夫のクリントン元大統領の援護射撃を受けましたが、黒人と白人の連帯を作り出すことができず、黒人票でオバマに大差をつけられました。しかし、ある女性が「女性を理解できるのはやっぱり女性なのよ。強い女性は優しい心を持っているものよ」と言っているようにヒラリーは女性からの支持が厚いことも事実です。
 オバマがお馴染みの「きっと私たちはできる(Yes we can)」で会場を湧かせると、今度は聴衆が「きっと私たちはできる」を熱狂的にコールする。今、アメリカは変わらなければならないという多くの人々の漠然とした不安をオバマは呼び覚まし、「うねり」と「現象」を作り出したのです。
 サウスカロライナ州では人種によって票が分かれたので、さまざまな支持層の連帯を強めることがオバマの今後の課題として残されました。

オバマの戦略を斬る

 ラベリング(labeling)戦略。レッテルを貼ること。政治家がどんな人物なのか曖昧。一言で言えばどういう人物なの?そう思う有権者は多いはず。それならばオバマは「未来」でヒラリーは「過去」というレッテルを貼り付けてしまえばいい。そうすれば有権者はオバマに良いイメージを持つし、ヒラリーに悪いイメージを持つ。まさに一石二鳥。

メガチューズデイはまさに天下分け目の決戦

 序盤戦でオバマは善戦しましたが、それでもヒラリーが依然として優勢であることは変わりません。人々の麦僊とした不安を呼び覚まし、「うねり」と「減少」を作り出すことにオバマは成功しましたが、今度はそれをどこに向けるのか対象を示す必要があります。「ワシントン」、その一言にオバマは対象を絞りました。
 従来通りヒラリーは初日から働ける大統領として経験の豊富さをアピール。さらにオバマの「変化」に対抗して「アメリカを作り直す」ことを提案しています。

Black, white, Hispanics, Asian, Native American, gay, straight, North, South, East, West, rich, poor, young and old, we could gather our voices to challenge the special interests that have come to dominate Washington.
「黒人、白人、ヒスパニック系、アジア系、ネイティヴ・アメリカン、同性愛者、異性愛者、北部、南部、東部、西部、富者、貧者、若人、老人、みんなの声を集めよう。ワシントンを支配しようとする特殊権益に立ち向かうために」

Our time has come, our movement is real, and change is coming to America.
「私たちの時代が来た。私たちの勢いは本物だ。変化がアメリカに起こる」

This time can be different because this campaign for the presidency is different.
「今度こそ違う。なぜなら今回の大統領選挙は違うからだ」
―バラク・オバマ 

 It is imperative that we have a president starting on day one who can begin to solve our problems, tackle these challenges, and seize the opportunities that I think await.
「初日から問題の解決を始めることができ、試練に立ち向かうことができ、待ち受ける機会をつかむことができる大統領を選ぶことが必要よ」

Tonight, in record numbers, you voted not just to make history, but to remake America.
「今夜は記録的な数の投票だったけど、みなさんはただ歴史を作るためではなく、アメリカを作り直すために投票したのよ」
― ヒラリー・クリントン

 メガチューズデイを制するかどうかはまさに天王山、選挙の勝敗を左右します。1月30日、三番手につけていたジョン・エドワーズ元上院議員がメガチューズデイを前に撤退を表明、ヒラリー対オバマの本格的な一騎打ちの始まりです。メガチューズデイでは全米50州のうち22州とサモアが一斉に予備選挙と党員集会を行います。
 メガチューズデイは実質8日間の短期決戦で、もちろんすべての州を巡ることは不可能に近いと言えます。資金を出し惜しみせずに一気にメディア攻勢に出るオバマ。さらにヒスパニック系に人気のあるエドワード・ケネディ上院議員の支持を取り付け、スペイン語の広告を流し、ヒラリーが圧倒的な支持を誇るヒスパニック系の切り崩しを図りました。ヒラリーもテレビ集会を開催しオバマのメディア攻勢に対抗します。ヒラリーは選挙戦の最中、「涙ぐまないようにすると言ったけど、もう約束通りにできそうにないわ」と言ってまたもや涙ぐむ場面も。母校のあたたかさに緊張の糸が途切れたのでしょうか。
 ヒラリーは経験の豊富さを強調し、それに対してオバマは「変化」と「新しいリーダーシップ」を強調しました。政策の面では根本的な争点があまりないためにイメージ戦略の勝負です。
 ヒラリーの支持者は、「オバマは好きだけどヒラリーのほうが政治家として優れているわ」と言う一方で、オバマの支持者は「政治にこんなに興味を持てたのは初めてのことよ」と言っています。「経験のヒラリー」、「変化のオバマ」というイメージがすっかり定着しているようです。
 オバマは、「きっと私たちはできる(Yes we can)」を完全に戦略に取り入れ、「きっと彼らはできる(Yes they can)」、「きっと彼女はできる(Yes she can)」、「きっと彼はできる(Yes he can)」という新しい形も生み出した。聴衆はオバマと一緒になって「きっと私たちはできる(Yes we can)」と唱えました。
 この戦略が採用されたのは、オバマが単に黒人の代表ではなく、人々の連帯を強め、人種、性別、老若の違いを超えた変化を求めるすべての人々の候補に脱皮する必要があったからです。ある支持者は、「私たちが暮らしている国は国としてなっていない。誰かが何とかして違いを生み出して本物の変化をもたらさなければいけないんだ。オバマは最善の選択だよ」とオバマが変化をもたらすことを期待しています。
 メガチューズデイは僅差でオバマが勝利しましたが、依然としてヒラリーの先行リードは残っています。オバマはどうやってヒラリーに追いつくのか。

オバマの戦略を斬る

 ストロー・マン(straw man)戦略。仮想敵を作り出すこと。共通の敵がいれば人々は団結しやすい。「ワシントンを支配しようとする特殊権益」とはいったい何なのか具体的には誰も知らない。だからあまり反発する人はいないが、本当は曖昧であっても叩く相手が誰かを示せば人々を団結させることができる。

オバマの九連勝

 メガチューズデイでの戦果をさらに拡大すべく、オバマは過去対未来の構図、そしてワシントンの腐敗を説いて支持を集め一気に逆転を目指します。 
 ヒラリーは国民皆保険についてオバマを攻撃しましたが、もともとプランに大差がないので決定打に欠けます。またヒラリー自身も「アメリカを取り戻す」という変化を唱えますが、過去にされてしまったヒラリーが変化を唱えても効果はあまり望めません。

 If we do this, then we can begin to turn the page on the invisible barriers―the silent storms−that have ravaged this city and this country: the old divisions of black and white; of rich and poor. It’s time to leave that to yesterday. It’s time to choose tomorrow.
「もしニューオーリンズを再建できるなら、見えない障壁、すなわち、この町とアメリカを破壊した静かな嵐、それは黒人と白人の古くからの分裂、そして富者と貧者の分裂を取り去ることができる。そんなものは過去においやってしまうおう。今こそ明日を選ぶべき時だ」

It’s a Washington where politicians like John McCain and Hillary Clinton voted for a war in Iraq that should’ve never authorized and never been waged.
「マケインとヒラリーのような政治家が、決して認めるべきではなく、決して報われることのないイラク戦争に賛成票を投じるような場所、それがワシントンです」
―バラク・オバマ

 I am ready to make your case because your voices are the change we seek and together we will take back the White House and take back America.
「私はあなたたちの声を伝えるわ。あなたたちの声は私たちが求める変化だから。一緒にホワイトハウスを、アメリカを取り戻しましょう」
―ヒラリー・クリントン

 ルイジアナ州、ネブラスカ州、ワシントン州、メイン州、メリーランド州、ヴァージニア州、ハワイ州、ウィスコンシン州でオバマは九連勝を遂げる。一般代議員数と特別代議員の総数でオバマはヒラリーに逆転しました。オバマは資金集めでもヒラリーをリード。
 黒人の人口比が高い州に加えて保守的で伝統的な価値観の強い州でも勝利をおさめました。
 「近頃、うねりと精神の高まりを感じる。アメリカで何かが起きている。人々は大きな飛躍をしようとしている」とヒラリー支持を表明していた有力黒人下院議員がオバマ支持に転向しました。オバマはもはや黒人と若者だけの候補ではなく、オバマの可能性に疑問を抱いていた人々もオバマ支持に回るようになりました。
 オバマは対イラク武力行使決議に賛成したヒラリーをマケインとともに過去のワシントンの政治に関与したと断罪しました。過去対未来の戦いでは、もちろんヒラリーは過去で、オバマは未来という図式なのです。オバマは、「ヒラリーが[ファーストレディになった1993年以来]過去15年間の政治を打破するのは難しいと思います」と言っています。
 オバマは一人の意識、一つの町、そして一つの州が変われば全米が変わるきっかけになると訴えました。一つひとつの積み重ね、草の根運動が大きなうねりとなるのです。うねりはケネディ神話に続く新たなるオバマ神話となりつつあり、ケネディの下で働いたことがある人物は「今まで会った政治家の中でケネディを彷彿とさせるのはオバマだけだ」と評価しています。
 「変化」、「きっと私たちはできる」、そして「過去対未来」という人々の脳裏に鮮烈に刻まれるイメージ戦略でオバマは支持層の急拡大に成功しました。ある30代の男性は「オバマの演説はとても真摯で、率直で、感情を揺さぶる。今の世代にはケネディやキング牧師のような言葉がなかった。私たちは勇気を与えてくれる誰かを待っていたんだ」と語っている。
 ヒラリーはオバマの快進撃を次でとめなければもはや後がありません。勢いをこのまま止めることができなければランドスライド(地滑り)が起きて、一気に結果が決まってしまう恐れがあります。

 オバマの戦略を斬る

 レピテション(repetition)戦略。重要なことは何度でも繰り返すこと。どんなことでも一度聞いたくらいでは記憶に残らない。訴えかけるテーマがいけると思えばくどいと言われようが中身がないと批判されようがとにかく繰り返す。そうすれば多くの人々に浸透する。

一進一退の攻防

 九連勝を遂げたものの、まだヒラリーを追い詰めるには至らないオバマと挽回を期すヒラリーは、激しい舌戦を交わします。しかし、お互いに決定打が与えられずオバマとヒラリーは非難や皮肉の応酬に終始し、特にヒラリーはオバマを呼び捨てにする怒りのパフォーマンスまで見せています。戦いはまさに泥沼に。

You see people who have worked in a plant for 20 years, put their heart and soul into building profits for shareholders. Suddenly, the rug’s pulled out from under them; the job’s shipped overseas. They don’t have health care. They don’t have a pension. They’re trying to compete with their teenage kids for a job paying seven bucks an hour at the local fast-food joint.
「20年間、誠心誠意、株主の利益のために工場で働いてきたのに、突然、足元をすくわれて海外に仕事を奪われた人々がいる。彼らには保険がない。年金もない。彼らは10代の子供たちと時給7ドルのファースト・フード店の仕事をめぐって争わなければならない」
―バラク・オバマ

We’ve seen the tragic result of having a president who had neither the experience nor the wisdom to manage our foreign policy and safeguard our national security. We can’t let that happen again.
「外交を円滑に行い、安全保障を守る経験も知恵もない大統領を抱くという悲劇を見てきました。再びそんなことを繰り返すわけにはいきません」
―ヒラリー・クリントン

 このままオバマの快進撃を許すか、それともヒラリーが食い下がるか。次の山場は3月4日のオハイオ州、ロードアイランド州、テキサス州、バーモント州の4州となりました。
 特に重要なのはオハイオ州とテキサス州で、ヒラリーが圧倒的なリードを誇っています。オハイオ州はヒラリーの支持層であるブルーカラーが多く、テキサス州は同じくヒラリーの支持層であるヒスパニック系が全人口の3分の1を占めます。
 ヒラリーにとってはここで大勝して反撃に転じるか、オバマにとっては同点に持ち込んでヒラリーの反撃を封じるか運命の分かれ道になります。
 ある教員はオバマに演説を聞いた時の感動を、「ここにいる人々はずっと打ちひしがれていたんだ。でもオバマがファースト・フードの仕事について語った時、それが心に響いたんだ。人生で初めて本物の変化が起こるかもしれないと感じさせる候補に私は出会った」と語っています。
 オバマはヒラリーに対して倍の資金を投入してテレビ・コマーシャルを展開、少しでもヒラリーのリードを縮めようとしました。一方、ヒラリー陣営は「午前3時。子供たちは安心してぐっすり寝入っている・・・・・」というナレーションに引き続き、ホワイトハウスでヒラリーが緊急電話に出るコマーシャルを流しました。ヒラリーは経験ある強い指導者というイメージを打ち出したのです。それをオバマは「どんな正確な外交経験があれば午前3時に電話に出ることで自分が適任であると主張できるのか」と痛烈に皮肉る場面も見られました。
 対するヒラリーは2000年のブッシュ大統領が思いやりのある保守主義で「変化」を訴え人々が騙された結果、最悪の事態がもたらされたとし、「変化」を訴えているオバマを暗に批判しました。ヒラリーはブッシュ大統領とオバマを並べる作戦を採用、オバマのイメージダウンを図ることに腐心したのです。他にもヒラリーは、オバマを面と向かって戦おうとしない「卑怯者」と呼びました。
 結局、ヒラリーは何とかリードを守りきって、3月4日の4州のうち、オハイオ州、バーモント州で勝利しただけでなく、さらにはテキサス州の予備選挙(テキサス州では党員大会と予備選挙でそれぞれ代議員を選出)でも勝利をおさめたのです。

 オバマの戦略を斬る

 フレーミング(framing)戦略。理解しやすいような枠組みで何かを説明すること。労働者が失業して困窮している。そう一言で済ますのは簡単だが、それだけでは共感できない。あまりに一般的な話だからだ。それを具体的な話を交えて分かりやすくする。有権者が社会問題を我が身のことに感じられる。それが本当の理解だ。

ヒラリー、オバマの隙をついて一矢報いる

 一進一退の攻防でヒラリーはオバマに追い着くことはできませんでした。そのためヒラリー撤退論が囁かれ始めましたが、ヒラリーは力強い言葉で最後まで選挙戦を戦い抜くことを宣言しました。そして、最後の大票田ペンシルバニア州にヒラリーは逆転勝利の望みを託したのです。
 ペンシルバニア州はクリントン一家と深い縁があるだけではなく、オバマが高い支持を誇る高学歴層と若年層が少ない。大差でペンシルバニア州を制すればヒラリーの逆転勝利も夢ではありません。
 まさに正念場のヒラリーは外交経験をアピールしようと、「狙撃の下、着陸したのを忘れない。空港で何か式典があるはずだったけど、それどころじゃなくて頭を下げて乗物に走って乗り込んで基地に向かった」と冗談めかして言いました。それが嘘だと判明して非難を浴びると、ヒラリーは、ビル・クリントン元大統領の援護射撃で何とか危機を乗り切るという失態を演じた。
 それも束の間、今度はオバマ陣営に危機が訪れました。オバマが通う教会のライト師が、9・11同時多発テロはアメリカにも責任があるとし、アメリカ政府が黒人にエイズを広めていると批判したのです。さらに人種問題についても白人に対する敵意をあらわにしました。ライト師の発言はオバマに飛び火し、オバマは支持率の急落に見舞われることになります。
 オバマは人種問題を話題にすることは避けていましたが、支持率の低迷をうけて人種問題に関する演説を行いました。それが「より完全な連邦(A More Perfect Union)」演説です。

‘A More Perfect Union’ speech
「より完全な連邦」演説

Race is an issue that I believe this nation cannot afford to ignore right now.
「人種問題は今、アメリカが無視できない問題だと思います」

And if we walk away now, if we simply retreat into our respective corners, we will never be able to come together and solve challenges like health care, or education, or the need to find good jobs for every American.
「今、私たちが責任から逃れ自分の殻に籠ってしまったら、国民皆保険や教育、すべてのアメリカ国民に職を見つけるといった挑戦を一緒になってやり遂げることができなくなる」

But what we know−what we have seen ― is that America can change. That is true genius of this nation. What we have already achieved gives us hope−the audacity of hope−for what we can and must achieve tomorrow.
「アメリカは変わるということを私たちは知っているし見てきた。それがアメリカの本質。私たちが既に成し遂げてきたことは私たちに希望を与える。明日に成し遂げなければならないことに対する勇敢なる希望を。」
―バラク・オバマ

 人種問題に足をとられるとアメリカが今、直面しているさまざまな社会問題に対処できなくなるとオバマは訴えました。
 演説の最後のほうでアシュリーという選挙戦を手伝っている一人の白人女性が登場します。黒人社会で選挙戦の手伝いをしていたアシュリーは、ある談話会でなぜオバマを支援するのかと聞いて回りました。みんなそれぞれの理由や背景を持っていましたが、一人の年老いた黒人男性だけは違いました。その黒人がそこにいたのは、保険のためでも経済のためでもなく、オバマのためでもありません。その男性の答えは「アシュリーのためにここにいる」というものでした。これは人種も性別も立場も越えて心を通わせることができるという連帯の物語です。
 この演説はYouTubeにアップされ、400万回以上の再生回数を記録しています。ある学生は「さまざまな集団の中で繰り返し対話が必要だったけど、日常的には全然交流がなかった。でもオバマの演説が交流の場を生み出した」と演説が多くの人々に影響を与えたことを語っています。
 CBSの世論調査によると、過半数の人々が、オバマの人種問題に対する意見に賛同しています。オバマは何とか危機を乗り切ったと言えるでしょう。オバマの演説をテレビで見た男性は、「人種問題のようなことを全米放送で話したがる人なんてそんなにいないだろうが、オバマはちゃんと話したし、うまくやったさ」と言っています。
 
 オバマは、ライト師の発言に端を発する人種問題から離れて、その他の国内問題に人々の注意を向けようとしました。しかし、今度はオバマ自身が「苦境に陥った労働者が、不満をぶちまける方法として、銃や宗教、または好意的ではない人々に対する敵意や反移民感情、それに反貿易感情に執着するのは驚くべきことではない」という失言をしてしまったのです。
 オバマの失言に対してある女性は「オバマはペンシルバニアのことを分かっていない。ペンシルバニアの人々が信心深いのはそれが素性だからで仕事に怒っているからではない」と憤りをあらわにしています。
 ヒラリーはすかさず「オバマの意見はエリート主義で、実情を把握していないのよ。アメリカ人の価値と信念を分かっていないのね」と批判を浴びせました。オバマは、実は経済的苦境を強調するためだったと反論し、ヒラリーがネガティブ・キャンペーンに終始していると反撃を試みています。
 ついに運命の日の4月22日。ペンシルバニア州で予備選挙が行われ、結果、ヒラリーが勝利しました。ヒラリーは勝利したものの決して圧勝とは言えず、今後の見通しは明るくありません。対するオバマも失言のダメージでヒラリーに決定打を与えることができなかった。予備選挙は最後の最後までもつれこむことになったのです。

 ヒラリーの戦略を斬る

 ネガティヴィティ(negativity)戦略。相手の弱点を突くこと。オバマ自身はエリート云々などとは言っていないのに失言をエリート主義と断言して切り捨てるヒラリー。どんな話の流れで言ったかは問題ではない。敵に都合の良い解釈を許してしまうのはまさに油断。解釈をする主導権を渡してしまったのはオバマのミス。

戦いはまだ続く

 ペンシルバニア州での勝利は戦いをさらに長引かせることになった。ヒラリーは勝利をおさめたものの、逆転の弾みになるほどの勝利ではありません。ヒラリーは疲弊する中産階級のために奮闘する政治家というイメージを強め最後の抵抗を試みました。
 それに対抗してオバマはヒラリーの支持層であるブルーカラー層に楔を打ち込みます。さらにオバマは失言によるイメージダウンを払拭しようと庶民色をアピールしました。もちろん勇気と希望に触れることも忘れてはいません。

How many workers have suffered the indignity of having to compete with their own children for a minimum wage job at McDonalds after they gave their lives to a company where the CEO just walked off with that multi-million dollar bonus?
「どれだけ多くの労働者が、数百万ドルのボーナスを懐に経営者が去っていくような会社に人生を捧げた後で、マクドナルドの最低賃金の職を自分自身の子供と奪い合わざるを得ないような冷遇を受けているのか」

The fact is Michelle and I, our lives−if you look back the last two decades−more closely approximate the lives of the average voter than any other candidate. We struggled with paying student loans, we tried to figure out how to make sure that we got adequate day care, I filled up my own gas tanks.
「もしここ20年を振り返れるのであれば、ミシェルと私の人生は他のどの候補者よりも平均的な有権者の生活に近いものです。学生ローンを返すために頑張ったし、どうやって適切な保育を受けることができるか計算したし、自分でガソリンタンクをいっぱいにした」
―バラク・オバマ

We need a president who’s a fighter, who knows what it is like to get knocked down, then is able to get back up: that’s the story of America, right?
「闘士である大統領が必要です。ノックダウンされて、それから復活することがどんなことか分かっていないとね。それこそアメリカらしい物語でしょ」
                                
I'm the only candidate who has a plan to give relief to the nation's drivers and to pay for it. And people need relief.
「全米のドライバーに救済を与え補助を与えるプランを持っている唯一の候補は私です。人々には救済が必要よ」
―ヒラリー・クリントン

 ヒラリーがペンシルバニア州を死守したことで戦いは最後の最後まで続くことになり、オバマはヒラリーの支持層を切り崩そうとブルーカラーに対するアピールを増やしました。またエリート主義という批判をかわすために、オバマは庶民色を前面に出しました。
 オバマは自分の祖父母や父母がアメリカでどう生きてきたか訴えかけ、聴衆に古き良きアメリカを思い出させました。そして、今こそアメリカを再生しなければならないと訴えました。
 そんな最中、ライト師の発言問題が再燃。ライト師匠がまた白人に対する敵意をあらわにしたのです。ライト師との関係をこのまま続ければ白人の支持が危うくなります。オバマはライト師と訣別し、「ライト師の発言は不愉快だ。私が目指すことや私の存在そのものすべてを否定している」と絶縁を宣言しました。
 これ以上の支持率の低下を食い止めるためにオバマ夫人のミシェルがテレビに出演、オバマの健闘を視聴者にアピールしました。
 一方、ヒラリーは中産階級のために奮闘する政治家というイメージを強化し、オバマは実情を知らないエリートだと攻撃しました。高騰するガソリン代と闘うヒラリー、国民皆保険実現のために戦うヒラリーといったイメージ戦略です。
 ちょうどこの頃、「ヒラリー対コーヒー・メーカー」という映像がYouTubeにアップされるという珍事がありました。ヒラリーがコーヒー・メーカーと奮闘している姿をとらえた映像です。再生回数は100万回に迫っています。闘士ヒラリーにも暫しの休息が必要なようです。
 白人労働者が多いインディアナ州でヒラリーは勝利しましたが、ヒラリーのオバマに対するネガティブ・キャンペーンを多くの人々が快く思っていませんでした。一方、インディアナ州よりも票数が大きいノースカロライナ州はオバマの手に落ちました。
 ヒラリーは「候補指名が決まるまで私はレースを続けるわ。候補になるために私はできるかぎり頑張るつもりよ」と撤退論を再度拒絶し最後の巻き返しをはかりました。

オバマの戦略を斬る

 オーセンティシティ(authenticity)戦略。生身の人間であることをアピールすること。自分とは縁遠いエリートだなと有権者に思われてしまうのは政治家にとってマイナスになる。手の届かない人間ではなくて実は身近な人間だという演出も必要。だからバスケットボールをしたり気軽に有権者に話しかけたりする。注目が集まっている人間であればあるほど意外性があるので効果が高い。

大統領を目指して二つの道は今一つに

 オバマの勝利宣言はとても慎ましやかで自分を誇るところがほとんどありません。それに応えたヒラリーの「きっと私たちはできる」も慎ましやかです。予備選挙が終わった時、これからなすべきことはオバマ陣営とヒラリー陣営の二つに分かれて争った民主党員を再び統合することです。ヒラリーが歩んだ道、オバマの歩んだ道は別々でしたが、これからは大統領を目指して一つになるのです。

Tonight, we mark the end of one historic journey with the beginning of another−a journey that will bring a new and better day to America. Because of you, tonight I can stand here and say that I will be the Democratic nominee for president of the United States of America.
「今夜、新たなる歴史的な旅が始まりとともに一つの歴史的な旅の終わりを迎えた。その旅はアメリカに新しくより良い日をもたらす。まさにあなたたちのおかげなのだ。今夜、私がここに立ち、アメリカ合衆国大統領民主党候補は私であると言えるのは」
―バラク・オバマ

 The way to continue our fight now, to accomplish the goal for which we stand, is to take our energy, our passion and strength and do all we can to help elect Barack Obama the next president of the United States.
「私たちの打ちたてた目標を達成するために今、戦いを続ける方法は、私たちの活力と情熱、そして強さをかけてオバマが次期アメリカ大統領に選出されるように全力で応援することよ」

So today I am standing with Senator Obama to say: ‘Yes, we can!’
「今日、私はオバマとここに立って『きっと私たちはできる』と言おう」
―ヒラリー・クリントン

 遂にヒラリーはオバマに及ばず、6月3日のモンタナ州とサウスダコタ州を最後に予備選挙は幕を閉じました。丸5か月に及ぶ激闘でした。6月8日にヒラリーはオバマを支持する旨を公表、戦いは終わりました。
 オバマの勝利を聞いてガーナからの移民は「これまでなかったような希望を黒人の私たちは今、持っています。私の小さな娘のために新しい目標を持っています。娘は黒人だからといって言い訳をしなくてすみます」と希望を語っています。
 6月28日にオバマとヒラリーはニューハンプシャー州のユニティ(統合)で肩を並べ一致団結して本選にのぞむことを誓いました。キャッチ・フレーズは「変化のために統合を(Unite for change)」です。

オバマの戦略を斬る

 フェンス・メンディング(fence mending)戦略。対立の溝を埋めること。ヒラリーの支持者の反目をかうと本選に悪影響が及ぶ。ここはヒラリーを持ち上げて早く溝を埋めてしまったほうが得策。既に勝負は決まったのだからいくら敗者を持ち上げても問題ない。今までいがみあっていても、そこはこらえて昨日の敵は今日の味方に。

オバマはアメリカに何をもたらすのか?

 「私には夢がある」。1963年8月28日、キング牧師はワシントンに結集した大観衆の前で演説を歴史に残る演説を行いました。それからちょうど45年、2008年8月28日にオバマがデンバーで開催された民主党大会で大統領候補指名受諾演説を行いました。
 オバマはまさに彗星の如く登場しました。ついこないだまではオサマ・ビン・ラディンとしばしば名前を取り違えられていたくらいです。今、全米が、いえ全世界がオバマに注目していると言っても過言ではありません。
 2004年に民主党大会でオバマが基調演説をした時に、早くもオバマを2008年の大統領候補にという声がありましたが、それを本当に実現してしまうとは誰が予想し得たでしょうか。そして、オバマはこれからどこへ向かうのでしょうか。
 オバマのことをいろいろ考えていると忘れられない政治家が一人います。ウィリアム・ブライアンです。1896年、弱冠36歳のブライアンは金権政治を打破することを誓う「黄金の十字架」演説で民主党の大統領候補指名を獲得しました。雄弁で知られたブライアンは一般大衆による政権奪取を訴えて全米を精力的に遊説しました。しかし、ブライアンは特殊権益の厚い壁に阻まれ敗れたのです。ブライアンが苦境に陥っても一般大衆は自らの声を届け自らの思いを表現する武器を持っていませんでした。結局、ブライアンは三度大統領選に挑戦しましたが三度ともかないませんでした。
 オバマもブライアンと同じく特殊権益の支配からワシントンを解き放つことを目指しています。ブライアンの時代よりもワシントンにはさらに多くの利害が絡み合っていることでしょう。それをオバマは断ち切ろうとしています。
 ブライアンの時代と大きく違う点が一つあります。一般大衆が自らの声を届け自らの思いを表現する武器を持ったことです。もはや選挙運動はマスメディアだけでは事足りません。マスメディアに加えてインターネットがますます影響力を強めています。新聞、テレビ、ラジオ、インターネット、ありとあらゆるメディアを通じた総力戦です。
 従来、メディア戦略は、マスメディアを介していかにうまく候補者を一般大衆に売り込むかが課題でした。候補者、マスメディア、そして一般大衆という一方通行の流れがありました。しかし、今では一般大衆も情報を発信できます。マスメディアがオバマを好意的に報道すると、インターネットでその記事や映像が流される。今度は、インターネットでオバマの演説をもとにした歌がアップされるとマスメディアがそれを取材する。このようにマスメディアとインターネットが好循環を生み出したことがオバマの大きな追い風になりました。
 オバマ陣営はYouTubeを有効活用していましたが、ヒラリー陣営はそうとは言えません。オバマのキャンペーン・ウェブサイトがYouTubeにアップした動画は1000を超えますが、ヒラリーのキャンペーン・ウェブサイトがYouTubeにアップした動画は100にも満たない数です。
 インターネットはオバマが強調する草の根活動の強力な武器となりました。インターネットを使えば支持者たちが自ら資金集めパーティーを開いたり、交流会を催したりすることが容易になります。支持者たちが活動を自分たちの手で盛り上げることができたのです。
 自分が知らない間に何か大事なことが一部の人によって決められることにもう我慢できないという一般大衆の声と思いをオバマは巨大な力に育て上げました。しかし、「オバマ疲れ」という言葉も囁かれます。今後のオバマの課題はいかにその巨大な力を維持するかです。そのためには大統領に当選し、国を先頭に立って導く決意に溢れた雄姿を国民に絶えずさらし続けなければなりません。
 オバマが目指しているのは現代版のニュー・ディールです。ディールとはトランプの手札を配ることです。大富豪というゲームがありますが、もし手札が初めから良ければ勝つのはたやすいでしょう。少しくらいの差であれば手札が悪くても工夫次第で勝てます。しかし、相手に良い手札がすべて渡ってしまって、自分ところには悪い手札しかないとなればどうでしょうか。いくら工夫しても勝てません。
 アメリカは伝統的に自由放任主義です。努力した者が成功をおさめる。それこそがアメリカの単純かつ絶対的真理と言えます。しかし、成功は継承されます。良い手札を一度握った人はそれを自分の子供たちに手渡そうとします。自由放任主義がずっと続くとそれが果てしなく切り返され、良い手札を持つ人たちのところにはますます良い手札が集まり、悪い手札を持つ人たちのところには良い手札が回ってこなくなります。オバマはそれをリセットして手札を配りなおそうとしているのです。
 内政だけではなく外交面でもオバマは新機軸を国民に示そうとしています。石油利権の支配からの脱却です。アメリカ外交は石油利権に振り回されていると世界の多くの人々が思っているでしょう。石油利権がアメリカ外交をすべて決定しているわけではありませんが、それはアメリカの負の側面だと信じられています。それを是正しようという試みは世界に大いに歓迎されるでしょう。
 9・11以後、アメリカは超大国でありながらも迷走しています。冷戦でアメリカが勝利したのは強大なソフトパワーがあったからです。世界征服をくわだてるソ連から世界の自由を守るのがアメリカだという正当性は計り知れない利益をアメリカに与えました。自由で豊かな希望溢れたアメリカというイメージはとても重要です。そういうイメージが世界中で定着すればアメリカを好きになる人が増えます。それこそがソフトパワーです。世界の中でアメリカが今、最も必要としているのはソフトパワーなのです。
 グルジア紛争でロシアは新冷戦も辞さないと強硬姿勢を示しました。ロシアは強いロシアの復権という明確なビジョンを打ち出しています。もし新冷戦が始まるのであればアメリカはどのような正当性でロシアに対峙しようというのでしょうか。アメリカは世界に向かって何か新しい正当性を打ち出さなければなりません。それがソフトパワーの源になります。
 予備選挙に勝利をおさめた後、オバマはベルリンを訪れました。その時の観衆の熱狂ぶりは歴史的なものでした。熱狂をもたらすのはソフトパワーに他なりません。オバマはアメリカ外交でソフトパワーを復活させようとしているのです。
 最後にオバマはなぜヒラリーに勝利できたのかまとめておきます。オバマは今まで見えなかった声なき声を一つのうねりにまとめることに成功しました。それができたのはもちろんインターネットだけの力ではありません。やはり、オバマの言葉の力があったからです。
 ヒラリーは理性に訴えかけました。しかし、オバマは情熱に訴えかけました。多くの人々が今のままでは駄目だと漠然とした不安を抱いていましたが、何をどうすればよいのか分かりませんでした。そういう時には何が一番必要とされるのでしょうか。
 まずは希望を与えることが大事です。不安で心がいっぱいの時に理性に訴えかけても効果はありません。オバマは情熱に訴えかける言葉で人々の不安を行動に変えたのです。ある60代の白人男性は、「オバマは何をなすべきか良く分かっている。イラク政策に関しても撤退と望んでいるアメリカ国民の意思をくみ取っている」と評価しています。
 オバマとヒラリーの対照的な点は人間味という点です。オバマは自分の出自を語り、人々が身近に思えるような話を多用し人間味を出しました。政治家も一人の人間です。政策のみならず自分たちの大統領候補がどんな人間であるのか、有権者は内面を知りたいのです。大統領はアメリカの顔です。
 オバマは自分の持ち味が何かよく分かっています。そして、人々が何を求めているのかもよく分かっています。アメリカ国民にとって9・11は恐怖そのものでした。そして、テロに対する戦争によってアメリカ国民の自由は著しく制限され、また世界の大半の国々からアメリカは疎まれることになりました。さらにサブプライムローン問題やガソリン価格の高騰、不透明な経済状況、明るいニュースはほとんどありません。そんな時に求められるパーソナリティは何でしょう。未来を真っ直ぐ見詰める確かな瞳です。暗い気分を吹き飛ばしてくれるような笑顔です。そして、不利な状況でも努力を放棄しない芯の強さと落ち着きです。オバマは過去の経歴からすると短気でせっかちな面もあります。落ち着きはオバマの優れたセルフコントロールによるものでしょう。それでいて少年のような茶目っけも時折顔をのぞかせます。このようにいろいろな面があるからオバマは人を惹きつけます。
 オバマをステレオタイプにあてはめることはできません。一般的に人間はよく知らない人がどういう人物か判断する時にステレオタイプに頼ります。こういうことをする人はきっとああいう性格に違いないと判断するものです。特別に親密にならない限りは、無意識のうちにステレオタイプをあてはめて「理解」してしまい安心します。そうなると途端に興味は薄れます。
 しかし、オバマに対してあてはめることができるようなステレオタイプを持つ人はほとんどいないでしょう。オバマは黒人といってもハーフであり、アメリカ人といってもインドネシアで教育を受けていますから。
 人間は未知のものがあると不安を覚えます。未知のものを自分が知っているもの、つまりステレオタイプにあてはめて分別し「理解」したいのです。そして安心したいのです。あてはめることができるようなステレオタイプが無ければ、できるだけ情報を集めて判断しようとします。それが興味や関心になります。オバマに注目が集まるのはそういう深層心理も働いているでしょう。
 対してヒラリーはなかなか人間味を出す機会がありませんでした。冷酷であるとか計算高いなど悪いイメージが付きまとい、好悪の別がはっきり分かれました。ヒラリーの支持者である40代白人女性でさえ、「クリントン政権の時に医療保険について口を出し始めたときから、ヒラリーは人々の嫌悪の対象になっていた」と認めています。ステレオタイプが既に出来上がっています。そのため新たな興味や関心を呼び起こしにくいというデメリットがヒラリーにはあったのです。そうなると既存の悪いイメージを覆すのは並大抵のことでは不可能でしょう。
 選挙戦の途中で涙ぐんだり、コーヒー・メーカーと戦ったりする珍事がありましたが、そうした人間味のある面を見せられればヒラリーはもっと得票することができたはずです。ヒラリーは、経験豊富であることをアピールするよりもあたたかい人間味を演出するべきでした。ヒラリーが経験豊富であることは初めから十分に知れ渡っているのですから。そして、ヒラリーに最も必要だったのは、オバマに対してネガティブ攻撃をすることではなく、恐れずに既存のイメージを叩き壊す勇気でした。
 一方、オバマは、ヒラリーに対してネガティブ攻撃をすることはできるだけ避け、その代わりに夢や希望、変化というポジティブな言葉で人々を魅了しました。人々が持つ不安をくみ取り、それを打ち消す力強い言葉の力こそオバマの真骨頂です。その言葉の力と人間味の演出が、アメリカを何とか変えようと熱望する政治家というオバマのイメージを作り出したのです。内政であれ外交であれ、オバマはきっと何かをやってくれる、そう思わせることに成功したことがオバマの最大の勝因です。

オバマのカリスマ性はどこからくるのか

 世の中には一度見たら忘れられない人がいます。またたくさんの人の中でもすぐに目に付く人がいます。なぜでしょう。カリスマを持つ人、カリスマを持たない人の差はどこにあるのでしょう。
カリスマとは、もともとはギリシア語で一般大衆の支持や後援を集める精神力のことです。
 オバマは強烈なカリスマを持っています。でも生まれた時からカリスマを持っていたわけではないでしょう。オバマはどうやってカリスマ性を身につけたのでしょうか。それを探ればカリスマを持つ人、カリスマを持たない人の差がどこにあるのか分かるに違いありません。

多様性は最大の武器

 My father was a foreign student, born and raised in a small village in Kenya.
「父は留学生で、ケニアの小さな村で生まれ育ちました」

While studying here, my father met my mother. She was born in a town on the other side of the world, in Kansas.
「ここアメリカで勉強していた父は母に出会いました。母は世界のもう一方の端のカンザス生まれです」

 オバマは心の中にさまざまな価値観を詰め込んでいる人物です。
母のアンは中流階級の白人で父のバラクはケニアからの黒人留学生です。アンが18才、バラクが23歳の時に二人はハワイ大学で出会い、そして結婚。いわゆる「できちゃった結婚」でした。当時多くの州では、まだ白人と黒人の結婚は違法で、偏見にさらされることも珍しくありませんでした。
 父は幼いオバマと妻をハワイに残してハーバードの大学院に進学、最終的には離婚。オバマ少年が次に父に会ったのは10才の時です。それが実の父との最後の別れとなりました。
 母は離婚後、バラクと同じくハワイ大学で出会ったインドネシア人のロロと再婚、オバマを伴ってインドネシアに移住しました。オバマは義理の父となったロロからインドネシアの習慣やイスラムの伝統などたくさんのことを学びました。
 このように多くの異なる背景を持つ家族に囲まれ価値観を形成しています。これは非常に貴重な経験です。
 自分は何者なのか。自分はどうあるべきなのか。たくさんの価値観に触れて育ったオバマは人一倍悩んでいます。
 自分が何者なのか問い直す心の旅をすることは、他者を知ることでもあります。まさにごく当たり前に見える自分と他者との関係を再認識することです。当たり前だと思っていたことを本当は当たり前ではないと認識することは意識の革命です。そうなると今まで偏見に隠れて見えなかったものが見えてきます。
 多様性(ダイバーシティ)は偏見を取り払う鍵です。そして多様性は共感力をもたらします。
 共感力は人々がどのような不満を持っているか知る力です。苦しみを誰かに分かって欲しいと願う人々の気持ちを察知する資質です。
 オバマが尊敬するフランクリン・ルーズベルト大統領は、裕福な家庭で何不自由なく育ったエリート中のエリートでした。しかし、小児麻痺を患ってほぼ下半身不随になり、ルーズベルトは恵まれない人々に共感する心を得ました。それは大恐慌に打ちひしがれる国民を勇気づけるルーズベルトの原点になりました。
 オバマは多くの人々の声なき声を代弁しています。それは聴衆の意識を変化させました。一人一人の聴衆がそれぞれの心の中で、それが言いたかったんだよ、まさにそうだよと快哉を叫ぶでしょう。
 オバマの声は、オバマだけの声ではなく、聴衆自らの心の声、さらには多くの人々の声なき声を代弁する巨大なうねりと化したのです。
 オバマが有するカリスマの秘訣は、多様性から共感力を引き出すことにあります。

カリスマは本当に必要か

 一方でビジネスの世界では、カリスマが本当に必要なのか疑問視する考え方があります。なぜなら、カリスマの存在はすごいことなのですが、いつか来るカリスマが去った後にカリスマが存在していたときと同じ状態が維持できるのか、という大きな問題があるからです。
 仮に一人の起業家がカリスマだったとします。強烈な個性と誰も付いていけないほどの高い意欲を発揮し、寝食を忘れて働きに働き短期間で事業を大成功に導きました。しかし、ある日このカリスマが引退することになりましたが、事業を引き継いでうまく経営できる人が見当たりません。それでも、カリスマは去っていてしまいました。すると、この事業はどうなったかというと、成功した期間の半分の期間でなくなってしまいました。
 ということは、カリスマは事業のスタート時では絶対に必要な存在なのですが、まず一人ではどんなに事業を大きくしたといっても、せいぜい数億円レベルです。最初に必要なのはカリスマをサポートし、一緒に事業を成長させることのできる仲間なのです。
 より多くの仲間を集めることができれば、その人数と資質によって事業の規模は、数十億から数百億へと拡大させることができます。次に、自分がいなくなった後も事業が継続できるよう、次のカリスマを育てることです。継続しない事業は利己的で、長く使っていきたいというユーザーを裏切ることにもなります。
 つまり、カリスマは自分がカリスマとして君臨することよりも、カリスマを支えるしくみ、次のカリスマを育てるしくみ、そしてそのしくみを継続させるしくみを作ることが最も大切な役割なのです。そう考えると、実はカリスマよりもしくみが大事であり、君臨することに固執するカリスマは本当に必要なのかという考え方につながるのです。
 カリスマが出現したら、側近に自分よりも優秀な人材を配置するか、そこをしっかりと見極めなければなりません。

聴衆と自分の物語を紡ぐ

 カリスマを有する人は必ず独自の物語を持っています。
 もちろん独自の物語といっても自慢話ではありません。できるだけ多くの人々に自分がどのような人物なのか伝える物語です。
 人々が本当に知りたがっているのは考え方や意見だけではなく、その背後にある「人となり」です。
 カリスマを持つ人は、幼い時に感じた甘酸っぱい思いや青春時代の言い知れぬ焦燥、時折訪れる耐え難い孤独感などを語るのです。さも親しい仲の人に打ち明け話をするかのように。
 自分の心の中を聴衆にオープンにすること。しかし、何でもオープンにすればよいというわけではありません。オープンにしながらも、何をオープンにすればよいのか、何をオープンにしてはならないのか、慎重に見極めるセルフコントロールも必要です。オープンにするにはよりセルフコントロールが重要になります。
 さらに大事なことは物語の展開の仕方です。自らの考え方や意見を述べる時にそれにあわせた物語を効果的に組み込むべきです。
 オバマは、特に人種問題に関して自分の物語を効果的に駆使しました。自分の経験を通じて自らの人種問題に関する考え方を語っています。
 例えばオバマはテレビ番組の中で「3、4年前までは、レストランの前で自分の車を待っていると、(配車係と間違えて)私に車のキーを渡そうとする人がたくさんいた」と語っています。
 人種的な偏見や職業の機会不均等がまだあることを端的に示す逸話です。これを聞いて黒人は自分も同じような扱いを受けた経験があると思うかもしれませんし、白人の中には黒人に対して同じような扱いをしたと思うかもしれません。
 人種的な偏見や職業の機会不均等があるとはっきり言うよりもこれは人々の共感を得る強力な言葉です。こうしたウィットに富んだ物語は適切な状況で使えば有効な武器になります。
 ここで忘れてはならないことは自分の物語だけではなく、多くの人々の物語をも援用することです。なぜなら声なき多くの人々の声を代弁するという役割を果たさなければならないからです。
 演説の中でオバマは、集会にやってきた105歳になる黒人のおばあさんの話をしています。おばあさんの人生を通じてまるで自分が見てきたかのようにアメリカの歴史を語りました。こうした物語を使う手法は、人々の一体感を高めます。
 聴衆は、105歳のおばあさんを自分の祖母や曾祖母に重ねて自らの国の歴史を追体験できます。オバマの声を通じて人々は自分たちの歴史を体験し一体となるのです。
 聴衆が一体となれる物語を紡ぐことがオバマのカリスマの秘訣です。

新しい価値観を創造する

 アメリカで最も重要な価値観は「自由」です。
 今からおよそ230年前、アメリカは旧世界の束縛から逃れる自由の新天地として誕生しました。それ以後、真の自由を常に探究してきたのがアメリカの歴史だといえます。
 独立革命の時代に多くのアメリカ人たちの魂を揺さぶった「自由か、さもなくば死か」という政治家のパトリック・ヘンリーの言葉はアメリカの中核をなす精神を表しています。
 自由とは何でしょうか。この問いにすべての人が納得できる答えを出せる人はいません。
 しかし、アメリカは第二次世界大戦を「自由の灯をファシズムの脅威から救う戦いだ」と宣伝しました。自由という共通の大義の下、アメリカ国民は一致団結したのです。
 さらに冷戦では、共産主義に対抗して、アメリカは自由の国だから絶対的な正義なのだという考え方が広められました。
 しかし、ベトナム戦争の敗退によってアメリカの威信は大きく失墜しました。自由の国アメリカは絶対的正義なのかと国民は疑念を抱くようになったのです。
 冷戦が終わり、アメリカは対抗すべき相手を失いました。さらに9・11により今まで当たり前だと思っていたものが根底より覆されました。
 アメリカは世界中からの移民を受け入れてきたため、非常に多種多様な人々からなる国です。へたをしたらアメリカはばらばらになってしまうかもしれません。そうした人々をまとめる理念が必要です。
 それが普遍的自由です。自由の国アメリカに住むアメリカ国民すべてが信奉する自由です。しかし、今、アメリカでは普遍的自由が失われています。
 妊婦が中絶を選択する自由と胎児の生命を擁護する自由。動物愛護を推進する自由と動物実験を行う自由。同性愛を認める自由と異性愛だけ認める自由。ばらばらな自由がアメリカで大きく渦巻いています。
 特に中絶問題は、現在、妊婦が中絶を選択する自由があると主張するプロ・チョイス派と胎児の生命を擁護する自由があると主張するプロ・ライフ派が激しく対立しています。
 従来、中絶問題は各州の判断にゆだねられてきましたが、60年代後半から70年代にかけてプロ・チョイス派とプロ・ライフ派の全米組織が結成されて以降、対立がますます深刻になりました。
 中絶は信仰に関わる問題です。アメリカ人の大半は我々日本人が思う以上に信仰を重視しています。
 さらに中絶を法律で禁止するかどうかは、政府がどの程度まで個人の自由を規制できるのかという問題を含んでいます。そのため中絶は政治問題でもあるのです。
 アメリカの政治家にとって中絶問題はまさに現代の踏み絵かもしれません。
 オバマはプロ・チョイス派を支持していますが、道徳は重視すべきだと表明しています。
 このように本来、アメリカ国民がアメリカ国民たる共通の基盤だった自由が、アメリカ国民の間に分断を生み出しつつあります。アメリカは新たな普遍的価値観を創造しなければなりません。
 多様性を自らの心の中にも持つオバマに、多くの人々が新たなる普遍的価値観を創造する役割を求めています。

 「またアメリカが自分たちのものになったような気がします」 

 これは、1933年にフランクリン・ルーズベルトが初めて大統領選に勝利した時に、その知らせを聞いた女性が言った言葉です。
 これと同様にオバマは、ごく普通の人たちの手に再びアメリカを取り戻すことを国民に呼びかけています。
 オバマ支持者にとって、オバマは失われた共通の絆を取り戻し、新たなる契約の下、分裂したアメリカを再生する可能性を秘めた存在なのです。そうした人々の思いがオバマにエネルギーを与えているのです。
 バラバラになってしまった人々を再統合する新しい価値観を創造することが、オバマのカリスマの秘訣です。

とどまることを知らぬ進取性

 オバマはアメリカン・ドリームを象徴する人物です。
 明日はきっと今日よりもよくなる。そして、明後日は明日よりももっと素晴らしいものに違いない。だから恐れず前に進もう。
 オバマがアメリカン・ドリームを我が物としたのはこうした進取性があるからです。しかも特に恵まれた家庭に生まれたわけでもなく、青春期にごく普通の人が持つ悩みを同じく持ちながらも大成したのです。
 オバマが成功することは、現代でもアメリカン・ドリームが達成できるという実証です。もしかしたら自分も何かできるかもしれないという希望の源になります。オバマが成功する姿は、将来の自分が成功する姿でもあるのです。
 何かを変える。変えようと思えば本当に変えられるはずだという理想がオバマにはあります。しかし、日常生活に埋没している人々は、何を変える必要があるのか知りません。またオバマが何を変えようとしているのか、すべてを知ることは誰にもできません。
 しかし、オバマが何かを変えようとしていることはすべての人が知っています。そうしたイメージも大切です。人は他人を完全に理解できるわけではありません。何となくイメージで他人を判断します。
 オバマは何かを変えようとしている。多くの人々がそう感じることが重要なのです。「心に決めればどんなことでも私たちアメリカ人はできるんだと教えてくれた」と祖父が教えてくれたとオバマは語っています。これはオバマの進取性を示しています。オバマにとってはそれこそがアメリカの精神そのものなのです。
 オバマは人々が求めるイメージを敏感に察知しています。アメリカ国民が政治に閉塞を感じ、何か新しい道を求めているのを肌で感じ取っています。
 オバマは経験が少ないことをかえってプラスに転じています。中央政界での経歴がまだ浅いことは、それだけ従来の政治には無縁だということです。
 経験の代わりにオバマは可能性を示しました。従来の政治とは違う新しい形の政治をオバマは提示しようとしています。それは可能性が持つ力です。
 オバマの若さや経験の少なさは問題ありません。
 経験が豊富なことは良いことですが、しばしば自らの成功体験は新しいことを試してみようというチャレンジ精神を委縮させます。
 今、多くの人々が必要としているのはチャレンジ精神です。もう従来の発想では解決不能のように思える社会問題を解決できる斬新性が求められています。
 革新主義か保守主義か、または中道主義かではなく、良識ある解決策をオバマは提唱しています。オバマはレッテルを貼られることを拒否し、主義の束縛から逃れ、従来ある道をたどるのではなく、新しい道を切り開こうとしています。それを多くの人々が望んでいることをオバマは知っています。
 とどまるところを知らぬ進取性で、きっと何かがかわるという高揚感を人々に与えることがオバマのカリスマの秘訣です。

多様性と企業統治のバランス

 オバマが発揮するカリスマ性は企業経営者にとっても羨望の力です。自らも失敗を経験し、そこから這い上がり、アメリカン・ドリームを掴んだ一人の男としての人間味溢れる物語を通じて、先を読み、自信を抱かせ、何かを変えようと感じさせる力があります。そして、そのとおりに自ら突き進む力に人々を巻き込んでいく姿に輝きを感じるはずです。
 今日の企業において、社員はおろか、企業を取り巻く環境は多様性を極めています。社員の就業形態にしても、正社員、契約社員、派遣社員、アルバイトなど個人のライフスタイルと価値観で多くの選択ができます。不得意分野の業務はアウトソーシング先があり、さらに業務提携も単なるコラボレーションやアライアンスから資本関係も交えた買収までいくつもの取り組みができます。他にも金融機関や弁護士、会計士まで多様な関係を構築する相手は増えるばかりです。
 それでも、企業組織をまとめ上げ、株主からせっつかれるまでもなく業績拡大を常に狙わなくてはならない経営者にとってどのようにすればオバマのように、意志を明確に伝え、人々を熱狂とともに目標に向けて動かすことができるのか?しかも、アメリカは人種差があり、地域差がある国です。企業とは比べ物にならない多様な価値観が渦巻く中で実現するにはどうしたらいいのか?経営者が悩んでいることです。
 この先に進めば夢と希望が待っている。こう思わせることができるカリスマ性は、人々が人間オバマに惹かれていくことが原因であると経営者に気付きを与えるでしょう。

諦めを勇気に変える力

 誰しも失敗することがあります。オバマも例外ではありません。人は失敗して学んでいくものです。ただ失敗して諦めるのと失敗した経験を次のチャンスに活かすのとでは全然違います。
 なぜ失敗したのか。そしてまた失敗しないようにするためにはどうすればよいのか。オバマは考える力がありました。
 オバマが政治家を目指す転機となったのはコミュニティ・オーガナイザーという仕事です。コミュニティ・オーガナイザーは、地域の問題を解決するために住民を組織して行動を起こす仕事です。
 24歳から27歳までオバマは貧しい黒人たちの中に入り彼らの状況を改善しようと努力しました。父と別れた後、白人の母、祖父母に育てられたオバマにとって黒人たちの中で暮らすことは初めての経験でした。
 オバマは最初からうまく住民をまとめることはできたでしょうか。実は最初は全然うまくいきませんでした。多くの人々は、今、目先に自分の仕事があるかどうかを心配するだけでした。そんな人々に町全体を良くしようと呼びかけてもうまくいきません。どんなに有能な人でも最初からうまくいくとは限りません。
 町には職の無い人が溢れ、住宅はほとんど補修されることもなく、犯罪が横行し、コミュニティは崩壊寸前でした。どうすればよいのか。オバマは何をしたのか。
 オバマはできるだけ多くの人々の話を聞くことから始めました。疲れ切った人々の心を動かす何かをつかみ取ろうとして。オバマはただひたすら人々の話を聞きました。
 それでもまだうまくいきませんでした。集会を開いても全然話を聞いてくれる人が集まりません。オーガナイザーたちはやる気を失い、もう辞めると言う者もいました。そんな時、オバマはどうしたでしょう。
 オバマは熱く語りました。共に協力しあって目標を達成することを。もう一度やってみようと呼びかけました。オバマの熱意と言葉でオーガナイザーたちは再びやる気を取り戻しました。
 愚痴や不満は誰でも簡単に言えます。しかし、それでは前に進むことはできません。愚痴や不満を分かち合っても意味がないのです。愚痴や不満の代わりにオバマは仲間たちに勇気を与えました。オバマが優れているのは諦めを勇気に変える力です。
 そして、オバマは一つの事実を発見します。行政の不備です。職業訓練センターが必要なのに、この崩壊したコミュニティにはなかったのです。オバマは、職業訓練センターを作ることを行政に働きかけるという明確な目標を見出しました
 オバマは集会を開き、人々に目標を伝え協力を求めました。目標は人々に希望を生みました。職業訓練センターを作るという目標は多くの人々の努力により達成されました。
 職業訓練センターができたことで人々は変わりました。変わったのは人々の心です。やればできるのだという希望を持つ勇気を人々は取り戻しました。
 政治に見放されていた人々は、希望を失わずに声をあげれば政治を変えることができることに気がつきました。オバマは、まず自分たちが変われば政治を変えることができるという信念を学びました。
 諦めを勇気に変え、人々の心を動かす目標を見出すことがオバマのカリスマの秘訣です。

人々の心を代弁すること、そして救世主に

 We Are One People! Keynote Address To The Democratic National Convention
民主党大会基調演説「私たちは一つの国民」

We are one people, all of us pledging allegiance to the stars and stripes, all of us defending the United States of America.
「私たちは一つの国民です。私たちはみな星条旗に忠誠を誓い、アメリカ合衆国を守っているのです」

I stand here today, grateful for diversity of my heritage, aware that my parents’ dreams live on in my two precious daughters.
「私は今ここにいます。受け継いだ多様なもののおかげで。そして感じます、私の両親の夢が二人の愛娘の中に息づいているのを」

I stand here knowing that my story is part of the larger American story, that I owe a debt to all of those who came before me, and that, in no other country on Earth, is my story even possible.
「私はここにいます。私の物語が大きなアメリカの物語の一部であることを知って。そして、私に先立つすべての人々に負うべきものがあり、私の物語が実現できるのは地球上でまさに他ならぬアメリカという国においてのみであることを知っています」

There’s not a black America and white America and Latino America and Asian America―there is the United States of America. In the end, that is
「黒人のアメリカ、白人のアメリカ、ヒスパニック系のアメリカ、アジア系のアメリカなどありはしない。あるのはただアメリカ合衆国なのだ」

 この「私たちは一つの国民」演説は、2004年7月28日の民主党大会でオバマが行った演説です。オバマはこの演説によって一躍ヒーローとなりました。
 オバマは家族の物語を通じて、アメリカ人が抱く夢を語っています。そして、オバマは自分の物語を通じて、アメリカン・ドリームが現実になることを、夢を取り戻すことを訴えかけています。
 さらにオバマは出会った人々の物語も巧みに演説に織り込んでいます。工場が海外に移転して職を失った労働者の物語。子供の病気の治療のために月4500ドルものお金を捻出しなければならず途方に暮れる親の物語。優秀な成績をおさめながら大学に進学するお金がない学生の物語。
 たくさんの物語は、聴衆にとって何かしら思い当たる物語があるはずです。まるで自分のことのように。実はまるで自分のことのように感じることがとても重要なことです。
 アメリカの個人主義の行き過ぎが他人への無関心の温床となっています。
 個人主義は競争を生みます。それが公正な競争であれば良い結果を生みます。でも初めから大きな差がついていればどうでしょうか。競争を初めから完全にあきらめてしまう人もたくさん出るでしょう。多くの人が誇りを失ってしまうかもしれません。
 競争を公正に行うためには機会の平等が必要です。オバマは子供たちがより良い未来を自力で築くことができるように機会の扉がすべての人々に開かれるべきだと主張しています。
 バラバラになってしまったアメリカ人は何か共通の絆を求めています。共通の絆を再び結びなおしてくれる救世主を求めています。その思いをオバマは代弁しています。多くの人々がオバマの言葉に夢と希望を見出しています。
 オバマのアメリカ再生の福音は、政府と国民だけなく、国民どうしで結ばれる新たなる契約です。オバマの多様性は人々を再び結び付ける要なのです。
 オバマは与えられた大舞台を十分に活かしました。なぜそれが可能だったのか。それはオバマが漠然とした人々の不安を読み取って言葉にしたからです。自分の思いを語るだけでは駄目です。人々が待ち望む言葉を、物語を語らなければなりません。どんなに強い信念であろうとも、どんなに強い言葉であろうとも、それが人々の心の奥底に眠る何かと合致しなければ意味がありません。
 オバマのカリスマの秘訣は、人々の心を代弁することに、そして人々に夢と希望を与える救世主というイメージを作ることに成功したことにあります。

ビジネスマンの話術とオバマの戦略

「話す場所」選びは、イコール戦場選び

 社員に向かって何かを伝えるときに最も気にしなければならないのは、会場のセッティングです。最低限必要なのは全員の顔が見えること。スピーカーから見えるということは、その反対にスピーカーは全員から見られているということになります。また、よほど特殊な構造でない限り、社員同士もお互いの顔が見えるということでもあります。
 伝えたいことをストレートに伝えようとするのに顔が見えない相手には、非常に伝わりにくいからです。実際に顔が見えない場所、例えば柱の影に隠れて聞いている社員には伝わっている気がしません。学校の教室でも講演会の会場でも決まって熱心に聴こうとする人は一番前の席に座り、そうでない人は一番後ろの端の方に座ろうとすることからもわかります。
 次に会場の広さです。場所が広すぎると熱気が伝わりません。広々した会場にわずかな人数が集まっても、ガランとした感じが緊張感を失くしてしまいます。逆に狭すぎると人疲れがして、一種のストレス状態になり集中力が保ちにくくなってしまいます。極端なことを言えば、人気ロックミュージシャンのライブ会場にファンが詰め掛けたような過密な状態を想像すれば、「話す場所」として相応しくないことがわかります。
 照明は適度な明るさが必要になります。オフィスやホテルなどの一般的な設備であれば、明るさを最大にしても明るすぎるということはほぼないので、特に注意が必要なのは暗すぎることです。暗すぎると眠気を誘い、聴き手の注意を引きつけまた、それを維持するには負担になってしまいます。プロジェクターを使ってプレゼンテーションをする場合でも、最近の機器はさほど照明を暗くしなくても、見やすいように設計されていますから、スクリーンの周辺だけを若干だけ照明を落とし、聴き手のゾーンは明るいままにできるような設備があると便利です。
 会場の選定そのものはシュチュエーションによって使い分けるべきでしょう。よく言われるように、社員を褒める場合には全員の前で、叱る場合には個室に呼び出して1対1で伝えるといったことと共通した考えです。前者のような場合なら、全社員参加の会議や朝礼などがいいでしょう。また、表彰式といったフォーマルな形式をとるとさらに特別な感じが演出できますので、奮発してパーティーにしてしまうのも効果的です。そこまでの予算はないからオフィスで済ませようという場合でも、テーブルにクロスを敷いたり、風船や色画用紙を使って装飾をしたりすると華やいだ雰囲気を演出することができます。
 大企業での勤務経験があればお分かりになると思うのですが、せっかく伝わるように場を設定しても、あまりに参加する人数が多いとどうしてもスピーカーの熱気が届きにくくなってしまいます。会議室に30人が集まるという状況と大きなホールに3000人が集まる、あるいは、もっと人数が多くなると一箇所に集まることができずに別な会場で映像を見るだけということになってしまいます。大事な内容であればあるほど、本来は直接一人ひとりに語りかけ、性格にまた情熱的に伝えて行きたいもの。できるだけ人数を絞って何度も実施したり、散らばっている拠点を行脚したりするなど、大人数に伝えるには工夫が必要です。

オバマは実にさまざまな機会に演説している

 数百人規模の地方の集会から数万人規模の全国党大会まで人数といい場所といい千差万別です。
 まず演説は誰に招待されるかが問題です。地方の集会で話す機会の他にも、女性の社会進出を推進する団体やマイノリティの権利を擁護する団体など、いろいろな団体から招待が届きます。
 招待を受けたらその団体の主義・主張をしっかり見極める必要があります。もし演説の中でその団体の主義・主張に外れることを言ってしまうと支持を失いかねません。
 さらにどの州のどの町で演説をするかも注意しなければなりません。ほとんど白人しかいない町もありますし、黒人やヒスパニック系が圧倒的に多い町もあります。また所得が高い層が集まっている町もあれば、所得が低い層が集まっている町もあります。ホワイトカラーが多い町もあればブルーカラーが多い町もあります。それぞれの町の特色をつかむ必要があります。
 ヒスパニック系が多い町で移民の保護について語るのは効果がありますが、逆にヒスパニック系が少ない中部の町で移民の保護について語っても効果はほとんどないでしょう。
 どのような話題を選べば最大限の効果がのぞめるのかは、演説を行う町の特色や聴衆の性質を調べれば自ずと決まります。
 人数が少ない場合、オバマはまるで身近な人に話すような気さくな感じで話します。聴衆はオバマに親密感を覚えます。物理的な距離が近ければ近いほど当然、直接熱気は伝わりやすくなります。
 人数が多い場合は、聴衆が一度沸けば、その熱気は凄まじいエネルギーになります。しかし、人数が少ない場合と違って、人数が多い場合はそれだけ雰囲気を盛り上げるのはなかなか大変です。物理的な距離が遠くなり熱気を直接伝えにくくなります。
 そのため聴衆がコールする機会をもうけたり、誰にでも分かる山場を作ったりしてできるだけ多くの聴衆が共感できるようにします。話題もできるだけ多くの人々が共感できるものを選ばなければなりません。「分断されているアメリカを一つにする」というオバマのテーマは多くの人々が共感できるテーマでしょう。
 こうした工夫をすると、聴衆の間から熱気が生まれます。そうすると他の聴衆にも熱気が伝わっていき、最後には聴衆すべてに熱気が伝わります。
 焚き火をする時にいきなり太い薪は燃えません。太い薪を燃やすためには新聞紙を燃やしたり、細い枝を燃やしたりしてあたためる工夫が必要です。それと同じで大勢の聴衆に熱気を伝えるにはそれなりの工夫が必要なのです。

ビジネスマンとしての“格”を左右する「第一印象や登場感」

 書店サイトを検索すると、出会ってから数秒で人を判断してしまうというような心理学的な本が多数出版されており、第一印象の見た目の重要性はかなり認知されているようです。実際、私も第一印象には気を遣いますし、人を見るときもついつい「はじめまして」と言ってからの数秒間で判断してしまいがちです。
 男性の場合、身につけるもので見られる三大ポイントは靴、鞄、時計だと言われていますが、確かに高額な商品を販売しているセールスマンが、磨り減った靴、汚れた鞄、壊れたような時計で登場しては売れるものも売れなくなってしまいます。
 やり過ぎるとかえって品がなくなりますので、必ずしも高級ブランド品が良いとは思いませんが、最低限清潔感のある身だしなみは心がけたいものです。靴や鞄は簡単な手入れでキレイになりますし、長持ちもしますので、出かける前のほんの数分の差が実は大きな差につながっているのです。
 また、身に付けるもの以外では爪、ヒゲ、髪、口臭などがありますが、具体的にどのようにすればいいかはノウハウ本で学んでいただくとして、スーツの色やネクタイの柄もTPOに合わせたチョイスが原則ということです。
 いつも颯爽としていて、この人のようになりたいなと思う人は、汚れてしまったときに備えてシャツやネクタイの予備をオフィスに置いてあったり、食事の後には歯を磨くなどの事前の準備ができていたり、ちょっとした配慮ができている人です。そういった人は自分が相手からどう見られているかを客観的に判断して、対処ができる準備をしているということになるでしょう。
 プレゼンの達人と呼ばれているような人で、相手に合わせて服装ばかりか、行動まで気配りができている人がいます。つまり、相手のオフィスの玄関先まで車で行くか、それとも少し手前に車を置いて歩いていくか、地位のある人と話したがっている相手には前者でしょうし、生意気な人とは話したくないという相手なら後者にするわけです。情報収集能力も高くなければいけませんが、相手をよく知り自分を演出するということもビジネスマンの大切な要素なのです。
 思わぬところで恥をかいたエピソードをご紹介します。ある講演会の講師を頼まれた男性が、質のいいダークスーツを着て自信たっぷりに話していました。ところが、本来一番反応がよく、メモを取りながらしっかり聴くようなタイプが多い、一番前の中央に座っている女性の反応が非常に悪いことに気がつきました。何か間違ったことでも言ってしまったかもしれない、一体どうしたことだろうと講演の内容どころではなくなってしまったそうです。講演が終わり、アンケートを読んでみるとその女性のコメントには次のように書いてありました。「講師の方の靴下が気になって講演に集中できませんでした」。その男性講師はこともあろうに、その日に限って白い靴下を履いていたのでした。細かな部分でも、いつも誰かに見られていることを忘れてはいけないと男性は語っていました。

 大統領になろうと志す人間にとってはもちろん服装も大事です。それはイメージを左右するからです。大統領の定番と言えばやはりダークスーツです。しかし、いつもダークスーツで通すことはできません。フォーマルはフォーマルで、インフォーマルはインフォーマルで使い分ける必要があります。
 人々と触れ合う機会が多い時にフォーマルな服装ばかりでのぞむのはかえって逆効果です。近寄り難さを感じさせてしまいます。しかし、それでも人前には変わりありませんから完全にラフなスタイルでもいけません。
 オバマは、ここぞという時の演説はダークスーツにネクタイを締めてしっかり決めていますが、人々と直接触れ合う機会が多い時は、ワイシャツにノーネクタイが多いようです。オバマは場に応じた切り替えをしています。
 さらにオバマの魅力を引き立てているのは体型です。正確な数値は分かりませんが、オバマの身長は190センチ近くあるようです。ケネディは身長184cmでしたからケネディより少し高いようです。オバマは一日に4.8キロ走り、日曜日には断食していたこともあるそうです。アメリカでは体型を標準に保つことも自己管理の一環とされるので体型も重要なポイントです。

競合する企画に対して自分の企画や提案のメリットをアピールするには

 どちらがよりみんなのためになる政策を考えているのか、大統領候補は聴衆にアピールしなければなりません。2008年の民主党予備選挙で焦点になった政策は、北米自由協定と国民皆保険についてです。オバマとヒラリー、両者の政策は根本的な違いはありません。
 そこでどのように自分の政策のメリットを見せるのかが重要になります。先手を切ったのはヒラリーです。「恥を知りなさい、バラク・オバマ」、そう言ってヒラリーは、攻撃色である赤のスーツに身を包み、オバマ陣営が発行した冊子を手にしてオバマを激しく糾弾しました。国民皆保険と北米自由貿易協定に対するヒラリーの立場をオバマが歪めて人々に伝えていると非難したのです。
 オバマはその攻撃を受け流しながら、「私の保健医療プランとクリントン上院議員のプランには違いがあります。ヒラリーは、政府があなたに医療保険に加入するように求め、もし加入しないならあなたの賃金から何とかして保険料を搾り取ろうとしています」とヒラリーのプランの弱点を攻撃しました。
 弱点を攻撃するにしてもきちんと狙いを定める必要があります。弱点は一つではないはずですが、聴衆が最も関心を抱く弱点を突くほうが効果をあげることができます。自分の財布が痛むかもしれないと言われて無関心な聴衆がいるでしょうか。オバマはヒラリーのプランをよく研究し、聴衆が何を重視するのか考えた上で自分のプランとの違いをうきぼりにしているのです。
 国民皆保険に加えて北米自由協定が議題にあがっているのは、自由貿易により多くの人々が海外に仕事を奪われることに不安を抱いているからです。ある労働者は、「国民皆保険をうまくやってくれて、仕事が中国に流れてしまうのを止めてくれる人なら誰にでも投票するよ」と語っています。
 オバマは、「昨日、ヒラリーは、北米自由貿易協定はクリントンではなくブッシュ元大統領が『交渉した』協定であると言っていた。ではここで明らかにしよう。北米自由貿易協定を通過させたのはクリントンだ。ヒラリーは、彼女の著書の中で北米自由貿易協定を『クリントン大統領の業績』と『立法における勝利』の一つだと呼んでいる」とヒラリーを非難しました。
 相手の言葉を借りて弱点を突くのは確実な手法です。相手は自分自身の言葉に反論することはできないからです。常に相手の言動に注意し、記憶に留めておかなければこうした手法を採ることはできません。

「自分の企画や提案を通す」ときのカリスマ感・圧倒感の漂わせ方

 何事を身につけるにしても、できている人のやり方をよく観察して、その通りやってみる、真似てみるのが早く身につける方法です。カリスマ感や圧倒感を漂わせる人は、自分に自信のある人です。自信がある人の立ち振る舞いをよく観察してみると面白いことがわかります。
 自信のある人は、どっしりと構えて、落ち着きがあり表情にもゆとりがあります。スポーツを観戦すると、それがよくわかります。例えば、ボクシングや空手などの一対一で戦う格闘技では、相対したときに実力差が明らかな場合、当人同士には肌感覚でそれがわかるようですが、観客席からでもそれを見分ける方法があります。実力の劣る選手のほとんどが絶え間なく動き回ったり、奇声を発しているものです。どこかに攻め入る隙がないか、一瞬でも怯まないかと、勝負にならない戦いだと感じていながらも、なんとか勝負に持ち込む機会を窺っているわけです。
一方で実力の勝る選手は、いつでも倒せる自信がありますから、じっくりと攻撃のタイミングが来ることを待っています。慌てずに自分のペースに持ち込めば、勝利が確実なものになることがわかっているからです。
古来から、「目は口ほどにものを言う」と言われますが、ビジネスシーンでも同じことが言えます。売り込みに来たセールスマンを観察すると、自信があるセールスマンは身体だけではなく、目もキョロキョロと動いたりはしません。会議室で、顧客である社長にむかって自分の企画をプレゼンテーションする場面であれば、社長の正面に座り、時折軽く微笑みながら相手の目を見つめ、まずしっかりと社長の話を聴き、つぎに穏やかに話し始めるのが定石です。実に堂々としてかつ、ゆとりを感じさせるものです。
話す声はやや低く、スピードはゆっくりとしていて決して先を急ぐ様子がありません。
これは急いで売り込む必要がないという、自信があるからできることでもあります。さらに、適度な「間」があり聴きやすさと相手に考えたり、話を整理させたりする余裕を与えることになります。子供の頃を思い出すと、母親が読み聞かせてくれた物語に近い感覚かもしれません。それがスピーチであれ、朗読であれ心地の良い声には、一定の範囲があるように思います。それを詳細に分析をすることは、またの機会にしますが、私は「間」の取りかたや、抑揚のつけかた、物語の展開のさせかたなどの参考に古典落語をよく聴いてエッセンスを真似てみるようにしています。もちろん、笑いの学びにもなります。
 どんなに素晴らしい企画や提案でも相手に伝わらなければ意味がありません。この人は何か持っている、話を聞いてみようと思わせることが、まず必要なのです。なぜなら、聴いてもらえなければ、企画や提案の内容を正しく判断してもらえないからです。相手が聞く姿勢をとるには、内容以前にその人の印象や雰囲気に影響されます。つまり、カリスマ感、圧倒感を醸し出せることが武器になるわけです。ですから、詳細にすべてを話し切るのは受け入れてもらった後で構わないのです。最初から微にいり細にわたり説明する必要はありません。
 もうひとつのポイントは表現力です。オバマは国民皆保険についてのスピーチで、自分のプランこそコストを安くできるというメリットがあるのだと繰り返し強調しています。さまざまなプランの中からどれが総合的に良いのか判断できる人は専門家でもなければそう多くないはずです。だからこそ詳細は省いてメリットを強調することが大事になってきます。この重要なポイントをわかりやすく、力強く、そして比喩やストーリーを交えながら、話の角度を変えて繰り返し強調するための表現力がカリスマ感、圧倒感を作り上げていくのです。そして、そのメリットが多くの人々にとって良い結果をもたらすと確信することが重要です。

「クレームをつけられた」ときは切り返す最大のチャンスと思え

 クレームは誰でも嫌なものです。特に最近は無理難題を持ちかけるクレーマーも増え頭を悩ましている企業も多いようです。インターネットで公的機関の消費者からのクレーム件数を検索してみると顕在化しているだけでも相当数のクレームが寄せられている事実がわかります。また、消費者保護が前提ではあるけれど、年々その内容はあまりにも過剰な反応ではないかというクレームが増えてきていることも実際に起こっているようです。
 しかし、それでもクレームは歓迎しなければなりません。その理由は二つあります。確かに、理不尽な要求が増えているとはいえ、大半は企業側のミスが原因でお客様の仰るとおり、お怒りもごもっとも、といった内容ですので一つひとつ丁寧に対処して、解決していくことはたいへん根気がいる仕事です。しかし、実はクレームよりも恐ろしいものがあるのです。一般にクレームの発生率は全体の1%から3%程度といわれており、その他のネガティブな意見は表面化しないまま、利用者の心の中に埋もれてしまっているのです。これがもっとも怖いサイレントクレームです。
 顕在化したクレームは、何らかの解決方法があるものですが、潜在的なサイレントクレームは対処のしようがありません。ひどい思いをした利用者は、その思いを持ったまま、もう二度とあの企業は利用しないと決めて、黙って離れていってしまいます。つまり、企業の知らないところで顧客離れが起き、それを食い止めることもできないまま気が付いた頃には既に手遅れということがあり得るのです。ビジネスに携わる人ならこれほど恐ろしいことはありません。そのうえ、クレームになるようなネガティブな情報は、瞬く間に広がっていきます。あの製品は使いやすい、あの会社のサービスは快適だ、といったポジティブな情報が口コミとして伝わるのがジワジワと広がっていくのに対して、数十倍は早く伝わっていくものです。どういうわけか、人の噂とはそういう性質があるようです。しかも時として事実よりもひどい情報として、もうこうなると噂というよりデマなのですが、それでも時間の経過とともに口コミでもインターネットでもより広範囲に情報が広がっていってしまいます。
 発生率が1%とすると、一人のクレームの裏側には100人のクレームが潜んでいることになります。さらに、その100人が発生源となるわけですから、一刻も早い対処が重要になります。クレームを歓迎する理由の一つはそこにあるのです。クレームを顕在化してもらったおかげで、クレームの存在を認識できるのです。これはとても有益な情報だといえます。的確な対処をすれば、知らないうちに加速度的に広がっていってしまう可能性のあるネガティブな情報を食い止めるチャンスをもらえたのです。企業側は最初にクレームをつけた利用者に対する正しい認識として、重箱の隅をつつくタイプの困った人から、感謝してもしきれないありがたい人だと、認識を改めなくてはならないかも知れません。
 そして、二つ目としてクレームは興味、関心の裏返しでもあるということです。人の性質として、興味がないものは見ない、聞かない、話さないというところがあります。先ほどからのサイレントクレーマーのように失望してしまった利用者は黙って去ってきますが、
少なくとも話してくれたということは興味がある、正確には興味があった、ということにもなるのです。そう考えると、クレームは改善の宝庫です。利用者から直接与えられた課題は、どんなリサーチ結果よりもリアルで強烈なものです。
 クレームは課題である、課題を解決すれば再度受け入れられる可能性があると真正面から改善に取り組むことが重要です。なぜなら、起きてしまったクレームは取り返しの付かないことです。利用者もそれがわかっていますから、もっとも注目しているのは対処の仕方なのです。起きてしまった問題を補償することで解決とせず、今後は同じ問題が起きないようにどのような、対策を講じるのかが解決のゴールなのです。対策を具体的に示し、できるだけ早く実際に運用を行うことが再度受け入れられる可能性を実現する唯一の方法なのです。

 ある集会で三人の黒人男性が「バラク・オバマ、あなたは黒人社会のために何をしてくれるのか」という幕を掲げ何かを叫び始めました。一瞬、オバマはそれに気が付いた様子でしたがそのまま演説を続けました。一方、黒人男性の抗議に気が付いた会場の聴衆はブーイングをした後に「きっと私たちはできる(Yes, we can)」を連呼してその三人の男性を圧倒しようとしました。
 オバマは演説を中断して暫くそれを見ていました。オバマは事態をどう収拾すればよいのか考えていたのでしょう。三人の黒人男性の主張はまさにクレームです。この三人の黒人の背後には何千人、何万人もの有権者が控えているのです。クレームをどう処理するかで何千人、何万人もの有権者の支持を失うかもしれないのです。政治家にはそういう緊張感が常に求められます。
 まずオバマは聴衆を鎮めました。そして、「よしよし青年たち、分かったから後で質問できるようにするよ」と声をかけました。会場は拍手喝采の渦に包まれました。この顛末はオバマが話を聞いてくれる人だというイメージを高めました。オバマは演説の中でも人々の声を聞くことが大事だと語っています。オバマがクレームを聞くという姿勢を示したことが成功の秘訣です。

「強力な反対勢力」が現れたときは自分の存在感を増すチャンス

 市場を独占できれば楽なビジネスが展開できるのですが、ビジネスには競合他社がいるのが常です。しかし、競合するライバルが強力であればあるほど自社のレベルを上げる原動力にもなります。
 自然界から、学べることがあります。天敵がいるほとんどの生物は、まず天敵から身を守り生存することに します。それは種を保存するためであり、そのために天敵に対抗する進化を遂げます。あるものは戦うための武器を持ち、あるものは発見から逃れるためにより精巧な擬態を身につけます。存在の危機にさらされることが、脅威であるがゆえに生命力を鍛え、進化のきっかけになることが自然界からわかるのです。
 ビジネスの世界に置き換えれば、競合する企業と戦うためにはその相手と明らかに違う自分の特徴を打ち出すこと、すなわち差別化であり、生存競争に勝つためになくてはならない重要な戦略です。しかし、差別化は単にライバルと正反対の特徴を打ち出せればいいというわけではありません。例えば経験に対して若さ、商品力に対して価格力を持つというだけでなく、自分の強さをよく把握できていることが必要になってきます。つまり、相手に合わせた対抗策であることに加えて、自分自身の強い部分を活かした武器があれば、先手を打って戦うことができるに違いありません。

 オバマはヒラリーという強力なライバルのおかげで存在感が増しました。民主党の予備選挙は、史上初の黒人大統領か史上初の女性大統領かという話題で大いに盛り上がりました。その要因のひとつは、知名度の低い若き黒人男性と知名度抜群の白人女性という、コントラストが背景にあったのかもしれません。一般大衆から見て、非常にわかりやすい対比だったのではないでしょうか。そして、ヒラリーという強力な元ファーストレディに対抗する過程で、圧倒的不利と予想されたオバマは成長しました。オバマはヒラリーを超えるために数々の戦術を編み出さざるを得なくなり、追い込まれれば追い込まれるほど信じられないほどの
結果的にそれが功を奏し、絶好のアピールになりました。もしも、予備選挙の対抗馬がヒラリーではなく、凡庸な相手だったとしたらここまで白熱することも、世界からの注目を集めることもなかったかもしれません。オバマの若さと変革をもたらそうという情熱は経験豊富なヒラリーを相手にすることでより際立ちました。そうした意味でオバマの真の立役者はヒラリーなのです。
 ビジネスマンであれば、社内の反対勢力と戦うことを経験するかもしれません。ライバルとの出世争いは古い体質の大企業だけのものではありません。営業部門であれば、数字を巡る戦いも存在することでしょうし、予算から目に見えない発言権といったものまで、勢力争いは留まるところを知らないでしょう。これをストレスと呼んで避けて通ることもできますが、上手く活用して成長の糧にすることもできるのです。よく考えてみれば、オバマとヒラリーの戦いは同じ党内の権力争いであったわけですから、オバマはヒラリーと同時にかなりのストレスとも上手く付き合ったわけです。バランスよくオバマのやり方を取り入れてみることがストレスのコントロールに役立つかもしれません。

「スキャンダル」は男につきもの、舵取り次第で英雄になれる

 出る杭が打たれる理由は“妬み”。頭角を現し、勢いがあり、一気に力をつけて権力を手にしていく姿を目の当たりにすれば、嫉妬心を抱くのは自然な心の動きでしょう。なりたい自分となれない自分の誤差を埋めるための手段の一つが出る杭を打つことであり、もう一つは出る杭になることなのです。
 出る杭がなければ打つことができないが、自分がなりたいような憧れの人物にはそうそうなれるものではないと、もっともらしい理由で杭が出ていない状態に収めることができます。出る杭になれない自分と現実の誤差がないように思い込むには都合がいいのです。それで、精神のバランスは取れるので、出る杭になる人は少数派なのですが、それだけに妬まれやすいともいえ、だから狙われてしまうのです。
 男に仕掛けられる罠には、金銭、健康、女性の三つがあります。
 政治家の贈収賄など裏金の問題が典型的な例です。金額の多少に関係なく、正当な金銭の受け渡しではないことが証明できれば、陥れられるますので欲張らずに、受け取る理由がない金銭には手を出さないことです。私の知っている人で、興信所を使って何度も尾行された経験がある人がいます。大きな注文を取り合っていたライバル会社が何とかして、競争から蹴落とそうとして、架空の裏金の噂を立ててそれらしい、いかにも怪しい写真を撮ろうと企てたのです。しかし、何日張り込んでも、そんな場面があるはずもなく逆に尾行されていることに気が付いたそうです。ドラマの世界ではなく、実際にそこまでやる人がいくらでもいるのです。そうでなければ、興信所は商売になりません。
 次に、健康に留意しなければなりません。いくら仕事ができても、病気がちでは充分に実力を発揮できなくなってしまいます。健康を害したことで、何であれ目指していたことを志半ばで諦めるなどというのは、悔やんでも悔やみきれないのではないでしょうか。健康は金銭と違って他人に左右されることがなく、自分でコントロールできる分野です。リーダーであれば、大きな仕事をするためには健康管理も仕事です。精神的にも肉体的にもベストな状態を維持して、安定した判断がいつでもできるようにあって欲しいものです。厳しいようですが、大きな組織を動かそうとすればするほど、双肩に多くの人々の未来がかかっているのですから当然の責務なのです。
 そして、女性問題です。近年でもビル・クリントンの一件があったように、政治家でもたびたび問題が起きています。英雄色を好むとは言い、確かに歴史的にはそういった傾向にあるようですが、それは現代の倫理観とは違っていた時代の話です。色事にうつつを抜かす暇があったら仕事に邁進しなくてはなりません。結果的に、金銭、健康、女性と欲を刺激されるものだからこそ落とし穴があるわけです。しかし、妬まれもしない男に魅力があるのかと思うのだが、いかに、自らを律する心を持って「君主危うきには近づかず」を実践するのが賢明な選択です。

 大統領候補も金銭、健康、女性の三つの問題に無縁ではありません。まず身を修めることから始めなければなりません。オバマはどうでしょうか。
 金銭問題については不正利益供与疑惑が浮上しています。悪名高い不動産業者から土地売買に関して不正な便宜を得たという疑惑でした。この不動産業者は2008年6月4日に収賄やマネー・ロンダリングで有罪判決を受けています。不正な土地取引で利益を得ようとしたのではないが、そうした取引には関与すべきではなかったとオバマが釈明したのでこの件は沈静化しました。
 健康問題については、過去に麻薬を使用したことをオバマはヒラリー陣営から追及されています。しかし、それはオバマの自伝にも書いてあるのでたいして問題にはなりませんでした。その他の健康問題については無縁のようです。
 そして、女性問題についてはどうでしょうか。オバマはどうやら女性問題については無縁なようです。しかし、三番手につけていたジョン・エドワーズは予備選挙から降りた後に不倫をしていたことを認めました。これでエドワーズを副大統領に擁立する可能性は完全になくなったでしょう。もしエドワーズが勝利をおさめていたとしても隠し切れなかったかもしれません。ジョン・ケネディ大統領のように女性遍歴が後に問題になった大統領もいましたが、当事は良き夫、良き父親というイメージを保つことに成功していました。スキャンダルは後々までいったい何が出てくるか予想もつきません。
 スキャンダルをうまく処理するうえで大切なのは何でしょうか。それは無理やりもみ消そうとせずに潔く認めることです。無理やりもみ消そうとして失敗した例がウォーターゲート事件です。リチャード・ニクソン大統領はウォーターゲート事件で大統領辞任に追い込まれました。もともとは大統領に再選するために設立した組織のメンバーが盗聴器を仕掛けるために民主党の事務所に押し入って逮捕されたという事件でした。それがさらなる問題に発展したのはニクソンがその事件をFBIに圧力をかけてもみ消そうとしたことが発覚したからです。
 もみ消さずに潔く認めてうまくいった例もあります。グローバー・クリーブランドは、大統領選挙の際に未婚の女性に子供を産ませたというスキャンダルが浮上しました。クリーブランドは子供が我が子だと認めました。クリーブランドは、私生活は滅茶苦茶でも公的生活が潔癖な人物と私生活は潔癖でも公的生活が滅茶苦茶な人物、どちらを大統領に選ぶのかと国民に問いかけました。選挙の結果はクリーブランドの勝利でした。スキャンダルも舵取り次第なのです。

実践!オバマ流のテクニック

 この章では少し変わった形式でオバマのテクニックを紹介しようと思います。題してメモランダム方式です。メモランダムとはアメリカ政府内でさまざまな政策が検討される時に作成された覚書のことです。
 例えば次世代エネルギーとしてクリーン・エネルギーの使用を推進しようと大統領が考えたとします。大統領はスタッフにクリーン・エネルギーについて聞きます。スタッフは大統領の問いに対して簡潔に分かりやすく答えなければなりません。
 まずクリーン・エネルギーを取り巻く概況を述べます。そして、付随する詳細な状況分析を述べ、最後に具体的な提言をします。大統領はメモランダムを読んでどの提言を採用すればよいか考えればよいのです。
 メモランダムは基本的に、対象(memorandum for)、課題(subject)、概況(general information)、詳細な状況分析(detail information)、提言(recommendation)という形式をとっています。あなたに大勢の前で話す時の戦術を五つ、議論する時の戦術を五つ紹介します。あなたにはどんなメモランダムが必要でしょうか。

大勢の前で話す時の五つの戦術

戦術T

対象
 聴衆を最初からはっとさせたい人
課題
 「何かこの人は違う」と聴衆に思わせるには
ポイント
 登場感の第一印象と第一声で聴衆の心をつかめるか
状況
 まずは笑顔。とにかく笑顔で颯爽と登場します。もちろん作り笑いなどではなくごく自然な笑顔が好ましい。オバマは左右に口を開いてしっかり笑います。笑顔は聴衆の視覚に訴えます。あなたたち聴衆に会えて嬉しいという気持ちの表れが笑顔です。オバマは会場の人々に惜しみなく笑顔を振りまきます。
 オバマがあるTV番組に登場した時に、音楽にあわせて踊りながら登場したことがあります。
華麗なステップを見せて観衆を沸かせました。
 最後の予備選挙が終わった時に行った演説などは最初の二分間はずっと感謝の言葉で埋め尽くされています。オバマは喜びを家族とスタッフと、そして聴衆と分かち合っています。
 またオレゴン州ポートランドで開かれた集会では、「こんにちは、ポートランド」という第一声に続いて集まった群衆の数に「ワオ!」と3回も驚きの言葉を吐いています。オバマの喜びと感動が素直に伝わってきます。
 今からどんな話が始まるのか聴衆は期待して待っています。オバマは真剣な面持ちで演説を切り出します。切り出し方はとてもシンプルです。
 例えば、「今夜、54の激しい戦いの後に、予備選挙は終わりを迎えました」や「五年前、イラク戦争が始まりました」というふうに今からどんな話が始まるのか聴衆に伝えています。聴衆に心の準備をさせることが必要です。また決まり文句のように「この選挙は私たちの歴史の中で決定的な瞬間となると私は度々言っています」という言葉から演説を始めるという手法も使っています。
 しかし、一方で「私たち人民は、より完全な連邦を形成するために」とアメリカ国民の誰でも知っている合衆国憲法の前文を引用して演説を始め、聴衆の意表を突いたこともありました。話の流れの中で何かを引用することはよくありますが、突然、引用から演説を始めることは珍しい。特に重要な演説ではそうした意表を突く作戦は効果があります。いつもと何か違うぞと聴衆が思うからです。
 オバマはもちろん服装にも配慮しています。オバマは屋内の演壇に立ってフォーマル決める時はダークスーツをきっちり着こなしています。しかし、聴衆との距離が近かったり、聴衆一人一人との触れ合いがあったりする場合はワイシャツにノーネクタイで気さくなイメージを演出しているようです。
 オバマの服装は時に大きな反響を呼んでいます。オバマが昔、ケニアを訪問した際にソマリ族の長老の装束を身に着けた写真が公開されたのです。オバマはイスラム教徒ではないかという疑惑を深める結果になりました。聴衆はまず耳ではなく目から物事を判断します。そのためどのような服装をするかがいかに大切なのかは言うまでもありません。

対応
 大勢の前で話すことは緊張するものです。あなたも私も、そして程度の差があるにしても、おそらくオバマも緊張するはずです。そもそも多くの人は大勢の前で話すというシュチュエーションには慣れていないものです。講演活動を職業にしている人や学校の先生でもなければ、そんな機会は早々あるものではありません。学校といえば、義務教育は誰でも受けているはずですから、経験としては学校の教室でクラスメイトの前で発表したことはあるでしょう。話をすることや人前に出ることが苦手な人は、できれば避けたい状況ではないでしょうか。
 しかし、スピーカーとしてどうしても、何かを伝えなければならないとしたらどうでしょうか?思い浮かべて欲しいのです。あなたが話を聴く側だとしたら、どのような人であれば話を聴いてもいいと思えるでしょうか?おそらくその判断は、スピーカーが壇上に上がってから、第一声を発するまでのその数秒間のうちになされるのではないでしょうか。つまり、スピーカーの姿勢や態度がその基準になっているのです。しかも初めて、話を聴くスピーカーであれば、この時点でそれ以外の情報はないといってもいいのです。
 もし、あなたが登場したこの瞬間から聴衆を引きつけたいのであれば、登壇する前にもう一度、鏡を見ることです。まだ、言葉を発する前にもかかわらず、聴衆の視線は一斉にあなたの態度、姿勢、表情に集中し第一印象を決定する要素を探しているのです。
 ふんぞり返ったようにノッシノッシと歩けば、それは威厳がありこれからのスピーチに自信を持っているのだろうと捉えるよりは、人を見下したような、横柄で威圧的な人だと感じられてしまうかもしれません。逆に前かがみで小走りに現れれば神経質であるいは、落ち着きがなく、謙り過ぎたように感じられることでしょう。シャンとした背筋としっかりとした足取りで、意志の強さをアピールしたいものです。そして、重要なことは笑顔である。それは、強さだけではなく、親近感と友好的な安心感を聴衆に与える効果があります。こういった印象が聴衆の心理的な障壁を押し下げ、会場の雰囲気を一気に整え、話を聴く体制にしてしまうのです。「何かこの人は違う」と聴衆が感じる要素になるのです。
 もちろん、服装も要素のひとつです。スーツやネクタイは奇抜さでインパクトを狙うよりも、やはり安心感を与える色や柄を選択すべきです。特に、装飾品などの小物にも配慮が必要です。時計、ネックレス、指輪など比較的目に付きやすいものは当然ですが、靴やベルトといった見られる可能性の低そうなものでも、それが服装全体のバランスを崩してしまっては台無しです。この一瞬で、これからのスピーチをどのような印象で聞いてもれるかが懸かっているのです。それほど第一印象は、スピーチが成功する大きな要因になっているのですから、充分な対策を講じたいものです。

戦術U

対象 
 聴衆を退屈させずに最後まで話を聞かせたい人
課題
 「もう終わりの時間なの?」と聴衆に思わせるには
ポイント
 聴衆の集中力を持続させる工夫。特に笑いの効果とは。
状況
 オバマの演説にはリズムがあります。話すスピードが緩から急へ、急から緩へと変化します。むろんこの変化には意味があります。
 安定したスピードが続くと聴衆は安心感を覚えますが眠くなってしまいます。安心感を与えることが目的であれば効果的ですが、オバマの演説の主な目的は人々に勇気と希望を与えることです。その目的に応じたリズムが必要です。
 オバマは大事なところはかなり長い文章でも畳みかけるようにビートを刻んで一息で言ってしまいます。徐々にスピードが速くなるので聴衆はここが山場だなと分かります。聴衆の拍手喝采もオバマがスピードを速めるとともに高まります。これはまるで駆け上がるかのような高揚感を聴衆に与えます。そうした山場を三分から五分に一回程度は作っています。
 オバマは演説をしながら聴衆の反応を見ています。ここがポイントだと思える場所ではオバマはしばらく間をおきます。もちろん時には外れることがあります。それはオバマが間をおいても拍手喝采が起こらない時があるからです。
 オバマの演説はここが最も強調したいところなのだというクライマックスがあります。よくオバマが使う手法は、「きっと私たちは〜できる(Yes, we can〜)」に代表されるように同じ言葉で始まる文を繰り返すことです。他には「私たちは〜である我が国を信じる(We believe in the country that〜)」で始まる文を繰り返した場合や「ベルリンを見よ(Look at Berlin)」で始まる文を繰り返した場合、「私たちは〜できたはずだ(We could have〜)」で始まる文を八回も繰り返した場合などがあります。7月24日にベルリンで行った演説でもオバマは「今こそ〜の時だ(This is moment〜)」で始まる段落を八回連続で続けています。オバマは聴衆の気持が高まるリズムを作り出しているのです。
 こうした手法は、1947年に米ソ冷戦開始を世界に広く認識させたトルーマン・ドクトリン演説で使われたので有名です。トルーマン・ドクトリンでハリー・トルーマン大統領は、「私は〜だと信じる(I believe that〜)」から始まる同じ構造の文を三回連続で使っています。聴衆に非常に力強い印象を与えることができます。
 時には笑いをとることも必要です。オバマは討論会で最大の弱点は何かと聞かれた話をジョークに仕立てて聴衆を大いに笑わせています。「最大の弱点は何と聞かれていると思ったから私は普通に答えたよ。『書類をうまく片付けられないから机は散らかり放題で、整理整頓してくれる人がいつも必要なんだ』。するとヒラリーとエドワーズは、最大の弱点をうまいこと言ったんだ。『私は貧しい人々を助けることに情熱を持ち過ぎている』、『私はアメリカに早く変化をもたらしたくてたまらない』ってね。もしうまいこと言わないといけないってルールが分かっていれば、私はきっと言ったと思う。『通りを横断するおばあさんを助けるのが好きなんだけど、時にはお節介だと言われてしまう。それはむごい』ってね。」
 また支持者たちとボーリングに興じた時は、「私の経済プランは、私のボーリングの腕前よりずっとましだよ」とジョークをとばしています。オバマは二十年以上前にボーリングをしたきり、一度もボーリングをしていなかったそうです。一投目はガーターで、二投目にしてようやく四本のピンを倒すことができました。
 ジョークだけではなく分かりやすい譬を使うことも忘れてはなりません。ミシガン州のオークランド郡では、イラク戦争でどれだけのお金が使われているか譬を使って説明しています。もし人口およそ120万人のオークランド郡の人々が納めている税金がイラク戦争に使われなかったら、90万人の人々の保険をまかなうことができると言っています。これを聞いた人々はイラク戦争についてどう思うでしょうか?イラク戦争に直接関係がない人でもイラク戦争について考えるでしょう。

対応
 退屈なスピーチを聞かなければならないことほど、苦痛なものはありません。わかってはいても、襲ってくる睡魔から逃れることはできません。一体、このような退屈さはどこからやってくるのでしょうか。
私も多数の講演やセミナーに参加したことがありますが、その経験から面白いスピーカーとそうでないスピーカーの比較をしてみるとその違いがわかってきます。私が考えるポイントは、三つあります。
 まず、最初のひとつは変化です。これは、話のテンポや声の高低などの変化を意味しています。動かないものを見続けられないように、また、スピードを変えずに動くものを見続けるとまもなく睡魔がやってくるのと同じように、一定のリズム、音程の変わらないスピーチも聞き続けられないのです。リズム、声の抑揚や大小あらゆる要素を使って、変化をつけるようにしなければ、退屈だと感じられてしまいます。身体の動きも要素のひとつです。話の内容や重要度に応じて、手振り身振りを使い分けること、そして会場を歩くことも聴衆の視線を動かす効果があるので、上手なスピーカーがよく使う手法です。
 次に笑いです。変化の一種なのですが、特に重要なのでここで取り上げたいと思います。笑いにはどうやら、脳を刺激する効果があるようで、笑いによる刺激で脳が活性化したという事例がいくつもあります。シリアスな議論で、ジョークを言うのはマナーに反するのではないかという意見もありますが、それは程度の問題です。もちろん、前述の変化とともにいえることですが、度合いが大切です。何事もやり過ぎとやらなさ過ぎはいけません。適度なジョークは人を楽しませ、場を和ませます。笑いはコミュニケーションの円滑油なのです。TPOをわきまえた、節度ある大人が放つ気の利いたジョークは、料理にたとえるとスパイスのようなもので、スピーチに刺激を与えてその内容を引き立たせるための大切な要素です。
 最後に頭と身体のコンディションがあります。食事を取った直後は、頭がボーっとしがちなことは体験的にお分かりだと思います。また、笑いを交えて変化に富んだスピーチでも、徹夜明けではどうしても集中力が保てません。聴衆の睡眠まではコントロールできませんが、退屈させずに話を聴かせたいのであれば、スピーチの時間帯にも配慮が必要です。また、会場の空調温度やもし会場に窓があるのであれば、窓の外の風景にも気を配りたいものです。なぜなら、適切な空調温度が保たれなければ集中力に影響がありますし、気が取られるような光景が窓の外で繰り広げられているようなら、これはスピーカーと聴衆の双方のためにも、カーテンなどを閉めてやはり、集中力が分散しないようにしたいものです。

戦術V

対象
 聴衆と一体感を作りたい人
課題
 「この人と一緒にやろう」と聴衆に思わせるためには
ポイント
 一体感を感じさせるキーワード
状況
 オバマとヒラリーの演説を比較すると全体的にオバマのほうがヒラリーよりもかなり高い比率で「私たち(we,our,us)」という言葉を使っています。「私(I,my,me)」という言葉はヒラリーと比べると控え気味です。
 例えばヒラリーは、「私たちの最善の日々がアメリカの行く先にあるはずだと私は絶対的に信じる」と言っていますが、同じ内容をもしオバマが言うとしたら次のように言うでしょう。「私たちの最善の日々がアメリカの行く先にあるはずだと私たちは絶対的に信じる」。
 もし「きっと私たちはできる(Yes, we can)」が「きっと私はできる(Yes, I can)」だとしたらどうでしょうか。はたして聴衆は熱狂したでしょうか。特に「きっと私たちはできる(Yes, we can)」は、何度も繰り返し使用することで、聴衆がそれをコールするようになりました。
 討論会でオバマは、ヒラリーが「これは自分がやったこと」だと言うのを非難しています。本来であれば、「これは私たちがやったこと」、「これは私たちが達成したこと」と言うべきだとオバマはヒラリーに言っています。このことからオバマは連帯を作り出す言葉を大切にしていることが分かります。
 オバマは聴衆がコールできるような山場をしっかり作り、聴衆と一緒に演説を作り上げています。これはコンサート会場で人気アイドル歌手が十八番の歌を歌う時に、観客がコールするのと同じ現象です。まさに同じ瞬間に同じ場所を共有するという感覚が一体感を生むのです。
 オバマが演説をしている様子を見ると際立った特徴があります。顔をできるだけ左右に振っています。視線ができるだけ多くの人にいきわたるようにしています。一対一で話す時に相手の顔を見ないで話すことはありません。それと同じでいくら相手が多人数でもできるだけ顔が見えるようにしたり、視線を振り向けたりにしなければなりません。講壇が無い場合は、オバマは自由に歩き回って演説をしています。これは意識しないとなかなか難しいことです。
 なぜなら大勢の前で演説する場合はだいたい準備した演説原稿を見るのに懸命になってしまいがちだからです。講壇の手元にテレプロンプターという演説原稿が表示される機械が取り付けられています。普通はそれを見ながら演説するわけです。ところがオバマは講壇で演説する時もほとんど手元を見ずに視線を聴衆に向けています。過去の大統領の中には3000ワードの就任演説を丸暗記した大統領もいました。時間にすると20分少しの演説です。しかし、それは十分に準備時間がある時に限られるでしょう。
 演説はライブ感が重要ですから演説原稿を棒読みしては台無しです。今、ここでこの瞬間にしか聴くことができないということに価値があります。完全な演説原稿があるとそれにばかり気を取られがちになってしまい、聴衆との一体感が損なわれます。
 オバマはしばしば原稿を持たずに演説をしています。おそらく大まかな筋と決め台詞、必要な情報だけを覚えるという手法を採っているのでしょう。何を話す必要があるかさえ明確に分かっていれば、普通の人でも大まかな筋を書いたメモだけで大勢の前で生き生きとした話をすることができます。
 オバマは聴衆の様子をよく見ています。聴衆が拍手喝采している時に演説を再開するのはなかなかタイミングが難しい。オバマは聴衆の喝采を殺さぬように文頭の言葉を少し言って間をとって演説を再開しています。拍手喝采が少し静まったらMaybe・・・・・Maybe、Now・・・・・Nowというように言葉をはさみ演説を再開します。そうすると聴衆は再び耳を傾けます。拍手喝采を殺さぬようにコントロールすることが大事なのです。
 さらにオバマは演説を行う場所がいかに重要なのか地元民に必ずと言ってよいほど訴えています。例えば「ニューオーリンズは、私たちがまだ見えないものを見る想像力を持ち、努力する決意を持つ時にアメリカに何が可能なのか常に示してくれる町だ」と地元民の誇りに訴えかけています。訪れる州や町ごとに、どんな歴史があり、風土が息づいているのか触れています。
 さらにオバマはカンザス州エルドラドという町で演説した際には、「私たちはここで友人の中にいる。私たちは家族だ」と言いました。カンザス州エルドラドはオバマの祖父母が住んでいた町です。オバマは実際に住んでいたわけではありませんが、オバマは町の人々を「家族」だと言って一体感を高めました。時にはそうした大げさな演出も必要なのです。

対応
 お薦めしたいのは聴衆との壁を取り払うことです。あなた方と私ではなく、まさに「私たち」というフレーズがキーになります。私の考えはこうだ、一方的なメッセージを発するだけでなく、私たちで一緒に考えたいというスタンスを明確にすることであなた方と私は同じですという、メッセージが伝わらなければ一体感は生まれません。
 そして、その一体感を語りかけるには、相手の目を見て話すことです。しかし、多数の聴衆がいた場合には、一人ひとりとアイコンタクトを交わすのは、現実的ではありません。そこで取り入れたいのが、会場の聴衆が座っている四隅を順に見ることです。これによって自然と会場全体に目が行き渡り、全員に向かって語りかけている状況を作り上げることができるのです。一対多の状況でありながら、あたかも一対一で訴えかけているような感覚を作り出すのです。オバマの視線が常に聴衆に向けられ、下をほとんど見ないのはそのためでもあるのです。
 さらにもうひとつ、上手なスピーカーは常に聴衆に呼びかけます。「みなさんどう思われますか?」や「みなさんのなかで、この問題について私と同じ意見だという方はいラシャいますか?」といった具合に聴衆との間に、双方向性を持たせることで、時間と場所を共有していることを意識させて、見事に壁を取り払っているのです。

戦術W

対象
 聴衆に忘れて欲しくないことがある人
課題
 「訴えたいものはこれなんだ」と聴衆に思わせるためには
ポイント
 記憶に残る伝え方
状況
 よほど記憶力の良い人は別にして、大半の人は聴いた話の細かいところまでは覚えていません。どんなに美しい文章であろうと、どんなに良い内容であろうと人間の忘却からは逃れられません。どうしたら印象に残すことができるのでしょうか。
 オバマには情熱があるという印象があります。たとえオバマの言葉を忘れてもそのイメージだけは残ります。オバマは効果的にさまざまな手ぶりを駆使している。 
 演説リズムにあわせ、握りこぶしに人差指を立てて注意を引く。オバマ自身の説明では、つい人を人差指で差してしまう癖があるが、できるだけ控えるようにしているそうです。それは人差指で人を差して喋るのはあまりに攻撃的だからです。
 演説が佳境にさしかかると、オバマはジャブをうつように右手と左手を交互に繰り出す。最も注意をひきつけたいところは両手で、上下左右と非常に豊富なバリエーションがある。例えばケネディも手ぶりを駆使しているがほとんど右手だけに限られている。オバマの演説スタイルは身体動作を画期的に駆使しているという点でも優れている。絶妙な身体動作は人々に忘れられない印象を与えます。近い距離であれば表情がよく見えますが、遠い距離からでは細かい表情までは見えません。しかし、手ぶりは遠い距離からでもよく見えます。手ぶりはまさに表情の代わりなのです。うまく手ぶりを使えば情熱を伝えることができます。
 情熱を伝えるとともにこれだけは忘れてほしくないという決め台詞を準備します。日本の首相の例でいえば、田中角栄の「日本列島改造計画」、小泉首相の「聖域なき構造改革」といった言葉です。たとえ細かい内容は忘れてしまってもそうした言葉は記憶に残ります。
 オバマも「変化を信ぜよ(Change We Can Believe In)」、「変化のための連帯(Unite for Change)」そして「きっと私たちはできる(Yes, we can)」など決め台詞をたくさん用意しています。しかし、ただそうした決め台詞を考えるだけでは不十分です。ビジョンに絡めて決め台詞を語っているところにオバマの強みがあります。決め台詞はオバマのビジョンを端的に表す言葉だからこそ力を持つのです。
 オバマのビジョンとは何でしょうか。オバマの言葉を聴いていると浮かび上がってくるビジョンがあります。アメリカを再び公正な競争ができる国へと変えることです。真面目に働けば真っ当な暮らしができると人々が確信する国に変えることです。諸外国との友好関係を取り戻すためにアメリカの外交政策を変えることです。クリーン・エネルギーを導入し石油に依存する仕組みを変えることです。人種を超えて人々が連帯する国に変えることです。
 「変化を信ぜよ(Change We Can Believe In)」、「変化のための連帯(Unite for Change)」そして「きっと私たちはできる(Yes, we can)」というオバマの決め台詞はそうしたビジョンに裏打ちされているから力があります。もしビジョンがなければただの空疎な言葉にすぎません。オバマは自らのビジョンを的確に要約できる力を持っています。言葉に新たな意味と今に生きている意味を吹き込む力を持っています。聴衆はオバマからそうした力を感じているのです。
 ビジョンを構築する力は、人々の声なき声を束ね、歴史の趨勢を読み取る力から生まれます。一人一人の声は小さいがそれを集めれば大きなうねりになります。歴史の趨勢を読み取る力とはアメリカがこれまでたどってきた歴史を参考にして次の時代には何が必要になるか見抜く力です。オバマは政党の垣根を越えて、人種の壁を越えて、性の違いを越えてアメリカが今、直面している問題に取り組む必要があると主張しています。
 それはオバマが思い描く新しい時代です。ただそれはオバマ一人の思いではありません。これまで数多の声なき人の声に耳を傾け、徐々にオバマの心の中で育ってきた思いなのです。自分のだけの思いではなく、数多くの人々の思いを代弁しているからこそオバマの声は熱く聴衆の心に響くのです。

対応
 人は忘れる生き物です。嫌なことや失敗したことも時間がたてば、時が解決するなどと言われるとおり、実際に忘れることができます。鮮明に記憶しているようなことでも、少なくとも徐々にその記憶は薄くなっているはずです。では、聴衆にメッセージを伝えるとき、どのようにしてできるだけ忘れられないようにすればいいのでしょう。
 まず、大切なことは繰り返し何度も言うことです。これはビジネスにおいても同じことが言えます。社員に伝えたつもりが、実は伝わっておらず大変な問題に発展してしまった、などということがあります。そこで、企業では復唱して確認するといったことが奨励されているのです。これには、聞き間違いや思い違いの類も一気に解決できる効果があります。鉄道会社など交通機関などで見られる指指し確認などは、その好例です。毎日行い、わかっていることでも、安全にかかわることですから、繰り返し何度も確認しているのです。
そして、別な方法でさらに有効なのは、物語を使って記憶に留めるもらうことです。ちょうど幼い頃に聞いた物語が何歳になっても、記憶に残っていることと同じ効果です。
物語で伝えるという方法が効果的なのは、考えてみれば古くからよく使われている手法だからです。おそらく、私たちの思考パターンに合致していて、馴染みがあるので、わかりやすいのです。なぜなら、昔は物語で民族の伝統やしきたり、社会通念や宗教観なども先祖代々、口伝えに伝えていくのや当たり前に行われていたからです。ある会社では、製品名を物語で覚えてもらうように工夫をしています。製品名が開発秘話やちょっとした社内の光景から生まれた様子を冊子にして、製品と一緒に配ることで物語と製品を関連付けてもらうのです。そうすると、記憶に残りやすく次回の注文につながるのだと思います。

戦術X

対象
 聴衆にまた話を聞きたいと思わせたい人
課題
 「この人の価値観に共感できる」と聴衆に思わせるためには
ポイント
 人間味を感じるストーリー
状況
 オバマがオレゴン州のポートランドで行われた集会に参加した時、オバマは壇上に妻ミシェルと二人の娘メール・アンとナターシャと一緒にあがりました。オバマは家族と気軽にスキンシップして家族とのふれあいを演出しました。
 アメリカ国民は、大統領の家族を理想的な家族として見ます。特に有名なのはケネディ一家です。ケネディ夫人と小さな子供たちとの写真は良き父親としてのケネディ像を国民に印象付けました。ケネディが暗殺された後、ジョン・ジョンの愛称で親しまれたケネディの息子が父親の棺の前で敬礼する姿は多くのアメリカ国民の涙を誘いました。
 アメリカでは政治家が家族愛を示すことはとても大切なことです。宗教的な要素ももちろんありますが、レーガンが登場するまで離婚歴があると大統領にはなれないとまで言われていました。家族愛は政治家が人格的にも優れているかどうか示すバロメーターと言えるでしょう。またオバマは、将来の世代のことを考えることこそ愛国心だと言っています。それはオバマに愛娘が二人いることでさらなる説得力を持ちます。我が子の将来を思う心は多くのアメリカ国民にとって共感できる気持です。
 オバマは演説でいろいろと人間味を出す工夫をしています。自分の生い立ちを語り、家族のことを語ります。両親がアメリカで成功することを願って「神の恵み」を意味する名前を付けてくれたことや祖母が見せた黒人への懐疑心などもありのままに話します。さらに出会った人々の話も折にふれてしています。町であった子供の夢、選挙ボランティアの女性、集会に参加した老女などごく普通の人々の話が出てきます。聴衆は、オバマが話を聞いてくれる人だと思うでしょう。一方的に伝えるだけでは言葉は力を持ちません。なぜなら言葉はそもそも人と人の間で気持を伝えるものだからです。
 聴衆は政策や法案だけを知りたいのではなく、その人物が自分たちの代表として選ぶのに値する人格の持ち主なのか知りたいと思っています。自分の声が届く、自分のことを分かってくれる。人々の信じる思いが人々の心に火を灯します。自分が伝えたいことを伝えるだけではなく、聴衆が伝えたいと思っていることを汲み取る。それがまた話を聞きたい思わせる秘訣なのです。

対応
 ある面白い物語があったとして、その話の続きに期待を膨らませることがあります。次の展開がどうなるのか気になって、早く続きが見たくてたまらなくなります。それは、小説であっても、コミックであっても同じ現象が起きます。最近では『24』に代表されるようなドラマが、このような気持ちにさせるからだと思いますが、大変な人気を呼んでいます。
 実はスピーチの場合も、聴衆の心理状態は同じだと考えられます。このスピーカーは次に何を話すのだろうかと期待させることができればいいわけです。もちろん、内容でその期待をリードできることが一番です。そのためには、ストーリー性のある展開を作り込まなくてはなりません。要素として考えられるのは、実はもっとすばらしいエピソードがあると感じたときに、また話が聴きたくなり、次回が待ち遠しくなるのです。
 ストーリー性やエピソードに大切なことがあります。それは、スピーカーの人としての深みを感じさせることです。成功談ばかりではなく、失敗談や苦労話も知りたいのです。そこから、這い上がってきた物語に感情が揺さぶられるものです。辛い状況の中での家族への愛や友情が織りなす、人間性を感じてしまうのです。実はこれらの要素は人気ドラマと共通していることに気が付かれたことでしょう。人が感じる要素はドラマであれスピーチであれ共通するのです。人気のストーリーがなぜ人気があるのか、という観点で学び、自分自身のストーリーに取り入れましょう。

議論する時の五つの戦術

戦術T

対象
 敗北を次のチャンスにつなげたい人
課題
 「倒れても何度でも立ち上がる人だ」と相手に思わせるためには
ポイント
 戦略的な敗者になる
状況
 予備選挙が始まる前のレースでは、オバマは圧倒的な差をヒラリーにつけられていました。さらにヒラリーは豊富な経験に加えて討論でも優れた資質を持っています。ヒラリーはどんな話題を振られても論理的にスマートに答えることができます。討論における弁論術という点ではオバマはヒラリーに劣っています。下馬評ではオバマの敗北は必至でした。ではオバマはどのようにヒラリーに対抗したのでしょうか。
 例えば北米自由貿易協定が議題にあがった時のことです。ヒラリーは北米自由貿易協定の改善案を雄弁に語りました。模範的な回答でしょう。それに続いてオバマはヒラリーと同じく北米自由貿易協定を改善する必要があると語りました。それだけではヒラリーと大差ありません。オバマはそれに加えて自分が実際にメキシコ大統領とカナダ首相と接触したと行動をアピールしました。
 自分が言いたいことを先に言われてしまって、後から何も言えずにいれば敗北してしまいます。それに討論会では時間が限られているから他の候補と同じことを繰り返しても仕方がありません。
 オバマは教育問題について論じた時に「たくさんの良い考えがあげられました」と他の候補者の意見を一括し、まだ言及されていない問題について述べました。その中で「私たちはテレビを切らなければならないし、ゲームを片づけなければならない。そして私たちは子供に教育は受け身ではなくて積極的に参加しなければならないものだと教えなければならない」とオバマ自身の親としての視点を盛り込んで観客の共感を求めました。オバマは、ヒラリーが圧倒的に優勢な時は衝突を避け、観客の共感を呼ぶようにアプローチして自らの存在を印象付けようとしました。相手が優勢な時は衝突を避けつつ静観し、自分の地歩を固めながら機をうかがうという作戦です。
 オバマは予備選挙でヒラリーに負けた場合は、ヒラリーの勝利を祝福しています。ヒラリーの勝利を祝福することは大切なことです。ヒラリーに投票した有権者の目があるからです。勝利を素直に祝福したほうが好印象を与えることができまず。それはいくら予備選挙で戦っているとはいえ、ヒラリーとオバマは民主党の中では同胞だからです。
 討論の時に分が悪くてもオバマは躍起になって反駁することはあまりしません。ただ観客の記憶に残るような重要なポイントを述べるだけです。討論会は、ただ相手を言い負かせばよいのではなく、いかに観客にアピールするかが大切なことです。
 司会者に、ヒラリーがもし大統領候補になったらマケインに勝てるかどうかと聞かれたオバマは、「前に言ったようにヒラリーは絶対に勝てる。でも私もヒラリーが言っているみたいに自分のほうが良い候補だと思うよ」とユーモアを交えて答えています。相手を認めながらも自分の利点を話すほうが得策です。先程も言ったようにヒラリーは民主党内では同胞だからです。相手を否定して自分を持ち上げようとするよりも、相手を持ち上げつつさらに自分を持ち上げるほうが好ましいでしょう。同胞を否定する人に対して良い印象を持てるでしょうか。
 1月31日の討論会でオバマは、予備選挙から撤退を表明したエドワーズの業績を賞賛しました。エドワーズの背後には少なからぬ支持者がいます。彼らの支持を自分の陣営に取り込むためには敗者に対する配慮も必要です。さらに討論会の他でもオバマはエドワーズに演説をする機会を与えています。オバマは敗者の名誉と誇りを傷つけないように配慮しています。 

対応
 敗北を完全な負けにしてしまうのは、その人の態度によるところが大きいのです。わかりやすくビジュアル的にいうと、ホームランを打たれてしまった野球のピッチャーがガックリとひざを落としているシーンは、身体全体から「負けた」という事実を表現してしまってしるのです。逆に、ホームランを打たれても平然と次のバッターとの対戦の準備に取り掛かっているピッチャーはどうでしょう。確かに、打たれたがまだまだ勝負はこれからだといった態度で、戦う相手に手ごわい相手だと思わせるところがあります。ホームランを打ったチームの方がピッチャーに恐れを感じることがあるかもしれません。こう考えると、負けた場面ではついつい、心理的なショックが態度に出てしまうのが人ですから、日ごろから態度を保つための訓練をしておくことが大切になります。それには、常に第三者的な視点を持ち、物事の良い面に焦点を合わせることです。例えば、先ほどのホームランを打たれたピッチャーならば、後続を抑える力は十分残っているのだから、過去から未来に視点を切り替えて後続を打ち取ることに全力を傾けようと、考えればいいのです。
 また、敗北を次のチャンスにつなげるもうひとつの思考方法として、負けた原因を実力の問題なのか実力を発揮する環境の問題なのかを区別して捉えることが必要です。
実力の問題であれば、次のチャンスに備えて実力を鍛えなおすしかありません。その場合はさらに自分の弱点を正確に把握して、その弱点を克服する努力を始めるしかないでしょう。そして、環境の問題であれば、戦える実力があったにもかかわらず、敗北と言う結果に終わったわけですから、その事実は受け止めながらも、戦いに至るまでの準備や手順を見直すわけです。
いずれにしても、冷静に原因を見つけて、同じ失敗を繰り返さないように、別な戦い方を強化しなければいけません。同じことをやり続ける限り、同じ結果になるのですから。

戦術U

対象
 勝利をさらに次の勝利につなげたい人
課題
 「勝つたびに成長する人だ」と相手に思わせるためには
ポイント
 敵を作らない勝ち方のコツとは
状況
 オバマが劣勢を覆し徐々に優勢になってくるとヒラリーは一転して積極的な攻勢に転じた。ヒラリーは「他の誰かの演説から文章をまるまる盗用するのはあなたが信じるような変化じゃないわ。それは、あなたができる変化、ゼロックスよ」とオバマの演説について非難を展開しました。
 それに対しオバマは政策上の論議をするほうが大事だと冷静に対応した。ヒラリー陣営がさまざまなネガティブ攻撃を繰り出しているとオバマは指摘している。そして、ヒラリー陣営の選挙活動の手法についてはうるさく言わないとオバマは余裕を見せた。
 ヒラリーがオバマの逆転を食い止めようとなりふりかまわず必死になりネガティブ攻撃を繰り出してくればくるほどオバマにとっては有利になります。なぜならそうしたネガティブ攻撃に終始する政局こそが過去の遺物だからです。オバマが描いた過去対未来の構図にヒラリーは自らはまり込んでいるわけです。
 さらにヒラリーはオバマよりも業績と経験に優れていることを主張するために攻撃材料を見つけました。テレビでオバマの支持者が、オバマの業績について何かあげるように言われたがきちんと答えられなかったのをヒラリーは攻撃材料にしたのです。「言葉は重要だと思うけど、言葉よりも行動が多くを語るものよ」とヒラリーは言い放ち、オバマの経験不足を攻撃しました。
 それでもオバマは冷静で、ヒラリーの「言葉よりも行動が多くを語る」という言葉を認めたうえで、オバマは、シカゴでコミュニティ・オーガナイザーとして働いてきた業績を語りました。話すことや演説すること自体に興味があるのではなく、ただできるだけ多くの人々がアメリカン・ドリームを達成できる手助けをしたいとオバマは説きました。
 そして、オバマはヒラリーの業績を素晴らしいものだと賞賛し、それを汚すようなことはしないと明言しました。オバマはヒラリーの挑発に乗らずに受け流したのです。オバマはポジティブであるように努め、かつ相手への非難を控えてネガティブ攻撃をあまりしなかった。
 上院選挙でオバマの採った戦術も根本は同じでした。オバマは対立候補が繰り出すネガティブ攻撃にはできるだけ取り合わないようにしました。そして相手が自滅するのを待ちました。ネガティブ攻撃に対しては反撃せずに相手の熱が冷めるまで待つのが賢明です。
 2月21日の討論会でどちらが先手をとるかくじ引きで決める時に、オバマはくじ引きに勝ったがヒラリーに先手を譲っている。ヒラリーがどう出るか様子を見るためです。優勢を保っている時は相手がどう出るか様子を見ることは大事なことです。相手がなりふりかまわず攻撃に出ると危険だからです。
 とにかくオバマは到るところで余裕を見せています。ヒラリーはメドベージェフの名前を正確に発音できずに口籠った時がありました。これは豊富な外交経験を誇るヒラリーを攻撃するには格好の材料です。しかし、オバマはヒラリーに助け船を出しました。
 オバマは、相手の些細な過ちを突いて相手を攻撃するようなことはしません。それは観客に悪い印象を与えます。ヒラリーの失言に対してオバマは特に攻撃することはせずに、言いたいことが不完全に伝わってしまうこともあるし、自分自身も同じようなことがあるとフォローしています。
 またヒラリー陣営が、イスラム風の衣装を着ているオバマの写真を流した件についてヒラリー自身は関知していないと明言するとオバマは深く追求せず、政策の論点について話を移しました。それよりも観客にヒラリーとオバマの違いが何かをアピールしたほうが良いのです。
 オバマはできるだけ余裕があるところを見せるようにしました。それにヒラリーに勝利した後も、ヒラリーの支持者を取り込む必要があるので、ヒラリーを完膚なきまでに叩きのめす必要はありません。たとえ一時的に勝ちをおさめても敵を追い詰めてはいけません。その敵が明日には味方になるかもしれないのですから。敵が綺麗に負けられるように、死に場所ならぬ負け場所を作る必要があります。

対応
 スポーツの話はわかりやすい例え話になるので、よく使うのですが、野球の次はサッカーです。私の友人に少年サッカーの指導者だった人がいます。彼が言うには、子供達に教える最も大切なことは、サッカーの技術ではなく敗者の気持ちだと言うのです。勝者ではありません。敗者の屈辱的な悔しさを知ることが大事だと言っているのです。おかしなことを言うようですが、昨今の教育では勝敗をハッキリさせることにためらいがあるようで、運動会のかけっこで順位を付けずに、みんなで手をつないで一緒にゴールしましょうといったことが行われています。これは、既にかなり広く知られていることです。しかし、実際にサッカーの試合をすると、勝ったチームと負けたチームが出てしまいます。これも教育の一環と捉えると、そこで何を教えるのかが重要になってきます。勝ったらまず、喜ぶことが第一です。嬉しいことは嬉しいでいいのです。その感情をキチンと表現しなくては、とても人間らしくはありません。そして、次に相手があっての勝利であること、相手がいるから試合ができることの感謝の気持ちを教えるのだそうです。そして、相手は悔しい思いをしていることを理解して、相手の立場に立つことと相手を労わる気持ちを教えるのです。これは、少年でなくても、あるいはサッカーやスポーツに興味がなくても、教訓として憶えておきたいこととして紹介しました。
交渉相手を完全に打ち負かすのではなく、相手の顔を立てて最低限の利益が残るようにしておくことで、次に同じ相手と交渉する場合でも最初から優位に立って交渉することができます。負けた相手の対抗意識があまりにも強く、感情的になって食い下がってきたような場合でも、相手の立場がわかれば対処の方法が見えてきます。

戦術V

対象
 自分の特徴をアピールしたい人
課題
 「この人には自分にはない強みがある」と相手に思わせるためには
ポイント
 弱みを知れば強みが引き立つ
状況
 国民皆保険に関してオバマはヒラリーと比べて知識が不足しています。オバマ自身も、ヒラリーこそ国民皆保険のために長年にわたって奮闘してきたと認めています。ヒラリーはかつて国民皆保険実現に着手しましたが挫折しています。挫折した経験があるとはいえ、国民皆保険はヒラリーの宿願であり十八番です。さらにオバマは、ヒラリーのプランと自分のプランが95パーセント同じだとも言っています。オバマはどうやって自分のプランの利点を示したのでしょうか。
 オバマはヒラリーのプランが、保険に加入する余裕がない人にまで強制的に保険に加入させることになり、その結果、給料から無理やり保険料を徴収されることになると指摘しました。オバマの指摘は、とても分かりやすい言葉でヒラリーのプランの弱点を突いています。視聴者の心に響く言葉です。専門的に弱点を詳細に説明しても視聴者の心に届かなければ意味がありません。端的に相手の考えの弱点をえぐる言葉が最も効果的です。
 そして、オバマは自分のプランの利点についても分かりやすい言葉でまとめています。オバマは、国民皆保険を目指すという点ではヒラリーと変わらないが、自分の計画の下でなら保険を欲する人は保険を手に入れることができるしコストも安くできると主張しました。オバマは「それが私自身とヒラリーの真の違いだ」と断言しています。またオバマは、多くの専門家もコストが安くできると言っていると自分のプランを補強しました。権威を利用して自分の意見を補強するのは効果的な手段です。
 国民皆保険だけではなく、イラク戦争についてもオバマはヒラリーの弱点を洗い出し、自分の利点をアピールしています。オバマは、上院選挙で落選する危険があってもイラク戦争について自分は一貫して反対を唱えたと誇っています。それに対してヒラリーはイラク制裁決議に賛成票を投じていると指摘しました。そうすることでオバマはイラク戦争に関してヒラリーとの対比を浮き彫りにしています。
 さらにオバマは大統領にふさわしい利点を自分は持っていると論じています。司会者に、多くのアメリカ国民が、ヒラリーのほうが経験豊富でうまくやるだろうと言っていると指摘されたことがありました。オバマはヒラリーが豊富な経験を持っていることは認めました。しかし、今、アメリカが必要としているのは変革であり、コミュニティ・オーガナイザーをはじめとするさまざまな経験を通じてアメリカを変えようと思ってきた自分の経験のほうが有用だと主張しました。何が必要とされているかまず提示し、それを自分が持っていると説く手法は自らの利点を最大限にアピールできます。

対応
 人と人が何かを争う場合、どちらも自分が正しく、相手が間違っていると考えてしまいます。例えば二人のセールスマンが発案したそれぞれの企画のうち、どちらの企画がより効果的かを議論しているとします。二人のセールスマンはどちらも、自分が正しいと考えているのです。二人の主張は表現こそ違うものの、企画の主旨は同じで結局のところ、やろうとしていることにあまり変わりがなかったということは現実的によくある話です。
 しかし、そんななかでも自分の企画の特徴をより強く打ち出し、ライバルとの違いを鮮明にしなくては、引き分けのないビジネス社会では優位に立てません。相手との違いを明確にするには、相手がなぜそう考えるかを把握することが最初にすべきことです。
 考えを把握する相手がユーザーだった場合、これは顧客ニーズとなります。つまり、競争相手にもニーズがあるのです。セールスがうまい人は交渉もうまいのはどちらもニーズを把握すると言う点で共通しているからなのです。
 さて、相手のニーズを把握したら、その次は相手のニーズと自分の強みとの比較です。
ここで大事なことは、往々にして人は自分のニーズだけを主張しがちです。いわゆる自己利益だけを追求してしまうのです。相手のニーズが把握できたのですから、そのニーズの裏側にある弱みを見つけることは容易いはずです。さらに、弱みがわかったのですから、自分の強みと比較することでより明確な差を明らかにできるのです。
 ニーズを把握されたうえで、あなたの強みである点、すなわち優位性を明らかにされたのですから、相手にしてみればあなたは良き理解者であり恐ろしい破壊者でもあるのです。しかも、人格を否定されたわけではなく、焦点はお互いのニーズですから、参ったという気持ちになったとしても不思議ではありません。

戦術W

対象
 不利な状況を回避したい人
課題
 「うまく切り抜けられた」と相手に思わせるためには
ポイント
 大きなダメージを避け、挽回に備える
状況
 オバマはライト師問題を初めとして何度も不利な状況に追い込まれました。そんな時、オバマはどのようにそれを回避したでしょうか。ライト師とオバマの関係についてヒラリーが攻撃すると、ライト師が問題発言をした時にはそれを教会で聞いていたわけではないとオバマは直接的な関与を否定しました。そして、ヒラリーの言葉が自分と多くの人々に対して攻撃的だと非難しました。
 オバマはライト師の発言について、すべては知らなかったが、その一部を攻撃的だと受け取った人々がいるとは理解できると釈明し、発言によって傷ついた人々を宥めようとしました。一方で、ライト師が所属している教会はさまざまな社会貢献をしてきたと述べ、少しでもイメージダウンを回復させようとしました。
 さらに「苦境に陥った労働者が、不満をぶちまける方法として、銃や宗教、または好意的ではない人々に対する敵意や反移民感情、それに反貿易感情に執着するのは驚くべきことではない」という失言をヒラリーに攻撃される前にオバマは失言について自ら言及しました。先手を打って、必ず攻撃される弱点をカバーするのは妙案です。
 オバマはそうした失言を政治的に利用するのは良くないと主張しました。そして、昔のヒラリーの失言について触れ、ヒラリー自身も失言を政治的に利用されるのがいかに良くないことか分かっているはずだとヒラリーの攻撃を封じようとしました。それに加えて失言について触れるよりももっと大きな問題を考えるべきだと攻撃をかわそうとしました。
 またオバマは過去対未来という構図を打ち出していましたが、討論会の司会者に、ビル・クリントンに仕えた元アドバイザーを雇っているのにどうして過去との訣別などと言えるのかと質問されました。ヒラリーはすかさず「それをお聞きしたいわ」と口を挟みました。オバマは「ええ、ヒラリー、あなたにもアドバイスを期待しますよ。どこからでも適材を集めたいからね」とまずジョークでかわしました。それからオバマは、9・11以後の政治が問題なのであってそれ以前の関係者には良い人材がたくさんいると持論を展開しました。自分にとって不利な質問に対しても慌てずジョークで返すことでオバマは余裕を見せています。また観客が笑いに湧けば何とか時間を稼ぐこともできます。
 他にも黒人イスラム教団体ネイション・オブ・イスラムのルイス・ファラカンからの支持を受け入れるかどうか司会者に聞かれた時もオバマは困った立場に追い込まれました。ファラカンは反ユダヤ的なコメントをして多くの非難を浴びていました。ファラカンの支持を受け入れるとユダヤ系からの支持を失います。一方でファラカンの支持を拒否すれば黒人からの支持を失うかもしれません。
 司会者がファラカンからの支持を拒絶するのかとはっきり質問しても、オバマはファラカンの反ユダヤ的なコメントに対しては非難しているとだけ答えました。一方、ヒラリーは、過去に反ユダヤ的な組織からの支持を拒絶したと明言しました。さらにヒラリーは非難と拒絶には違いがあるとオバマの曖昧な立場を暗に批判しました。
 それに対してオバマは、非難と拒絶にはあまり違いはないと思うが、もしヒラリーが拒絶の方が非難よりも強い意味だと言うのなら喜んでそれを認めて、非難も拒絶もするだろうと答えました。しかし、オバマははっきりとファラカンの支持を拒絶するとは最後まで明言しませんでした。イエスと答えてもノーと答えても不利なことは、言質をとられないように曖昧にするのも時には必要です。

対応
 不利な状況でさらに追い込まれないためには、意識的に問題の本質を遠ざけて、体制を立て直すべきでしょう。感情的になって、無理な反撃に出ても形勢を逆転できることは皆無に等しいと考えるのが賢明です。あえて戦闘を回避したり、さらに情勢が悪ければ戦略的な撤退を行うのも手段の一つです。
 相手には勝ったと思わせて、実は逆転の布石にしてしまうような巧みさが求められます。冷静に考えて、不利な状況ということは、その問題があなたの不得意な分野だからなのです。これはほぼ間違いのない事実のはずです。そうであれば、戦う場所が間違っているのです。あなたが戦いやすい自分の土俵に相手を誘い込むための知恵比べです。
 大抵の場合、人は自分の面子が失くすことに不安を抱きます。ということは、反対にあなたが面子を失う様は勝ったと思わせる恰好の状況であり、相手の面子が上がるように擽ることは相手にとっては快感のはずです。あなたがこの問題では相手の方が優っていることを認めつつ、次の問題としてあなたの得意な分野の問題にすり替えて、この問題にも意見も求めるように仕向けるのです。つまり、一歩下がったうえで押し返すわけです。気分良く勝って、その流れで相手の得意分野にも意見を言ってもらえたら、そこから反撃の糸口が掴めるはずです。
 最後にチャレンジすることとして、提案があるのですが、弱点の克服はテクニックとは別に取り組む必要があります。さもなくば、その問題に抜群に強い側近を仲間に迎え入れることでしょう。その、新しい仲間が機能の敵であったとしてもです。

戦術X

対象
 誰からも認められる勝者になりたい人
課題
 「この人にはかなわない」と相手に思わせるためには
ポイント
 強さだけでは大衆を味方に付けられない
状況
 オバマは討論会という場で最優先すべき目標は何かをよく理解しています。一貫して大切な目標は、いかに自分が大統領候補として優れているのか観客に印象付けることです。オバマは話を合衆国大統領という言葉でよく締め括っています。「私が合衆国大統領になったら〜」、「〜だから合衆国大統領に立候補した」といったような言い方です。
 なぜ自分はヒラリーよりも大統領候補として優れているのか。オバマは繰り返し語っています。オバマは自ら、政策に関してヒラリーと多くの共通点があると言っています。しかし、ヒラリーと自分には根本的な違いがあるとオバマは訴えかけます。
 今、アメリカに必要なのは、アメリカ国民を鼓舞して政治に関与させ、さらに人種、地域、宗教の壁を超えて変化のための連帯を作り出すことだとオバマは訴えます。それができるのは草の根運動を結実させてうねりを生み出した自分しかいないというのがオバマの論理です。ヒラリーとの違いがくっきり示されています。ヒラリーは自らの経験を前面に押し出しましたが、かえってそれはオバマの過去対未来の構図にとらわれることになりました。
 討論で必ずしも勝つ必要はありません。1960年の大統領選挙でジョン・ケネディリチャード・ニクソンはテレビ討論会で対決しました。ニクソンは弁論術に長けている人物です。政治資金疑惑のせいで副大統領候補の地位が危うくなった時に愛犬をだしにした演説で切り抜けたことでニクソンは有名です。弁舌ではケネディはニクソンに勝てません。しかし、ケネディは大統領選挙でニクソンを破ることができました。それはケネディが視聴者に好印象を与えることができたからです。ケネディの若々しい颯爽とした候補というイメージの勝利です。
 オバマも討論に勝つことよりもイメージを重視しています。司会者に2008年の抱負は何かと聞かれた時にオバマは「良い父親になりたい。良い夫になりたい」と答えました。そして、二人の娘と一緒にクリスマス・ツリーを買いに行ったが、ワシントンにすぐに戻らなければならなかったという自らの体験を語り、国中の子供たちの未来を考えるとそうした犠牲も価値があると述べました。さらにオバマは、「アメリカ国民の生活に真の違いをもたらすために敗北する恐怖に屈しないように、恐れてはならないと私は絶えず自分自身に言い聞かせている」と心情を吐露しました。他の候補とは違ってオバマは等身大の一人の人間として自分自身の気持を率直に語っています。こうした語りは、オバマは本当にアメリカの将来を憂えているというイメージを視聴者に感じさせます。
 そもそも討論で勝つことはそれほど重要なことでしょうか。「大統領の力量は説得力である」という有名な言葉もありますが、その説得力とは人々を鼓舞して自発的に行動させる力を指します。相手を論理で負かす力ではありません。
 目の前の相手を撃破するよりも大向こうの視聴者の好印象を獲得するほうが大事なのです。そのためオバマはジョークをとばす機会を逃しません。司会者に、レッド・ソックスが勝つかヤンキースか勝つかと聞かれた時にオバマは、「ソックスが勝つよ。でも違った色のソックスがね。私はいつもホワイト・ソックスのファンだ」と答えて会場を沸かせました。
 また公共の場での禁煙について肯定的だと主張するオバマに司会が「ではあなたは禁煙に成功しているか」と反問しました。それに対してオバマは「もちろん。ご存じのとおり私の最善の慰めは妻です」と答えました。会場は笑いに包まれました。
 自らの信念を主張するところは主張しながらも時にはジョークも言う。真摯な語りがあるからこそユーモアが引き立ちますし、ユーモアがあるからこそ真摯な語りが引き立ちます。討論では視聴者は論理の展開を追っているだけではありません。語り手の人間性を見ているのです。だからこそ好印象を与えることを重視すべきなのです。

対応
 猛烈な強さで勝ち上がって社会的には成功者と呼ばれても、なぜか人望が薄い人がいます。同じように、成功者の中には誰からも慕われる、包み込むような優しさを持った人がいます。この人に任せたい、この人に付いていきたいと思わせるのは明らかに後者です。こういった人が、持っているものは目に付くものは蹴散らしてでも前に進む強さではなく、ずる賢く機微を狙って間隙を突くような立ち回りの上手さでもありません。
もちろん、成功しただけの厳しさは強く持っていますが、それよりも接する人を包み込むような暖かさが際立っていたりするものです。私の理解では、これは人徳ではないかと考えています。人徳がなければ、人は付いてこないのです。
 例えば、ジョークにしても決して人を傷つけるようなことは言いませんし、むしろ特徴的なことは、発言は大いに笑えるジョークなのですが、それでいて気付きを与えるような発言でもあるのです。こういう人は一緒にいて、為になることばかりですから、自然と人が集まり、いつのまにか大きな人の輪ができていくのです。無敵とはすべての敵に勝つことではなく、敵が無いことだと言いますが、人徳のある人はやはり好感度が高く、印象も良いので、敵になる人がいない場合が多いようです。
 相手に対する思いやりが深いのですが、具体的なビジネスの場面では、相手が決定に悩むような場面を作りません。例えば、見積書を提出する場合でも、何パターンか複数の選択肢を用意するばかりか、上司を説得しやすいように、パターンごとにメリットとデメリットをまとめた、資料をさりげなく用意してあります。上司との板ばさみになることやプライドを傷つけないように配慮しているのです。このような人になれば、対外的な友好関係も内部の協力関係も簡単に作り出すことができ、思い描いたビジョンが自分の力だけでなく多くの関係者を巻き込みながら、やがて大きな渦のようなエネルギーになっていくことでしょう。リーダーの大きな仕事とは、他人を巻き込むことであり、
誰からも好印象を持たれる人徳を持つことでもあるのです。

スピーチの最終目的は行動に移してもらうこと

 コミュニケーションの大事なことは相手の話をよく聴くことです。聞き手の技量がコミュニケーションの質を決定付けるといってもいいでしょう。一方で、スピーチでは政策の演説にしろ、企画のプレゼンテーションにしろ、伝えたいことをハッキリさせ、聞き手にその場で判断できるようにすることです。ただ「聞こえた」のでよければ、耳に心地のいい音楽のようなスピーチで充分です。気の利いたエピソードや場を盛り上げるジョークが思いつかなければパーティーのあいさつなど形式的な場面ではこれで事足りるでしょう。しかし、どんなにいい話も行動につながらなければ「わかった」のレベルに過ぎません。スピーチを聞いた後の聴衆に感想を訊いたとして、「彼の政策は興味深い話だった」、「斬新な切り口の企画で面白かった」といった反応だったとします。これは、理解はされているので、悪くはありませんがこれでは何かが起きることは期待できません。スピーチを聴いた結果、判断する材料が手に入り「行動する」ところまでできればスピーチの目的は達成できたことになります。何かが起きるとは、この「行動する」ということなのです。つまり、「彼を支持する」「この企画を採用する」といった反応を起こしたいのです。こういった行動に移る判断が、聴衆にできないのであれば充分な判断材料が提供できなかったことに気が付かなければなりません。
 それでは、根拠になるデータを明確にして、論理的な説明を詳細に繰り広げればいいのでしょうか?じつは、その前に気を付けなければならない大切なことがあるのです。それは、聞き手に聴く姿勢になってもらうことです。スピーチを理解するには論理的な判断をする前に、感覚的な判断がります。例えば、あなたが買い物をする場合、商品について詳しい知識があり説明に終始する販売員と親しみのある笑顔で明るく感じのいい販売員がいたとするとどうだろうか?答えはどちらかでなくても構いません。なぜなら、あなたも私も親近感があり人当たりのいい販売員に詳しい商品の説明が聞きたいからです。そのうえで、判断ができる充分な情報が得られれば「購入する」という行動に移るのです。ここで気づいて欲しいのは、親近感があるという感覚的な判断が先で、詳しい説明による論理的な判断はその後になることなのです。
 言い換えれば、感覚的に嫌いな人からはどんなに詳しい説明を受けたとしても、その説明は「聞こえて」いないので、判断はできるはずもないのです。もしも、ますます詳しい説明をしたとしたら、感覚的にさらに嫌われるばかりでむしろ逆効果になり、なぜ「わかって」もらえないのかがわからないので、さらに説明を繰り返すという悪循環に陥りがちなので注意が必要です。

聴衆に心を開いてもらわなければ言葉は届かない

 反対に、感覚的に好感を持たれると、説明が詳しくなくまた、論理的できなくても「購入する」という「行動」に移る場合があるます。例えば、ビジネスの世界では、駆け出しのセールスマンが突如として営業成績を伸ばすことがあります。いわゆるビギナーズラックというものです。経験も知識もないが、一所懸命な言動や若々しくさわやかな笑顔、裏表がなく夢中で働く姿に触れると、人は自然と注目し、受け入れ、助けようとするようになっているようです。ベテランセールスマンの古臭さが鼻につくようなセールストークや無理な作り笑顔、丁寧すぎて気色が悪くなる腰の低さには、人の感性は顕著に心を閉じるという反応をしてしまうのです。
同じように、聴衆が心を開いてスピーチを聴く姿勢を持たなければ、メッセージは届きません。では、感覚的な好き嫌いとはどういった要素が影響するのでしょうか。それは、服装や立ち振る舞い、言葉遣いに至るまで多くの要素が関係しており、それぞれに周到な準備が必要になります。
 オバマの場合、最初の感覚的な抵抗は彼が黒人であることだろう。現在のアメリカ国内において、人種差別がどれほどのものか計り知れないが、少なくとも根絶されたとはとても言い難いようです。政治的な展開をする黒人系の運動家に対して、白人が持つイメージを突き詰めて言えば、恐怖感に近いものがあるのではないだでしょうか。実際のオバマにはそれが感じられません。ここでは、感覚的な面に限っていえば、笑顔に代表される彼の表情や立ち振る舞いはどれも紳士的でながらも、柔らかさと芯の強さを持ち合わせたイメージがあります。
 また、それらを潜在的に植えつけてきたイメージ戦略が功を奏している部分が大きいのです。ビジネスにおいては、マナーの影響が大きいものがあります。見た目においては、やはり服装、持ち物、立ち振る舞いなどであり、話し方においては、専門用語などの難しい言葉を使わない、曖昧な表現をしない、他社の誹謗中傷などがそれにあたります。これら軽視する向きもあるが、実際にこれで嫌われてしまう可能性は否定できません。マナーとは相手への配慮なのですから、これができないということは、ビジネスの関係においても配慮に欠ける言動があるのではないかという不安を感覚的に感じ取るのも人の感性のおもしろいところです。
 例えば、財界の実力者に対して、Tシャツにジーンズといういでたちで、ろくに挨拶もできないのでは、いかに優れたビジネスをやっていると主張したところで、相手にもされないことは容易に想像できます。こういう例もあります。若いセールスマンがある中小企業の社長に自社製品を売り込みに行きました。饒舌に、製品の優れている点を熱心に語り他社製品からの切り替えを迫りましたが、どうも社長は乗り気ではないようでした。そこで、そのセールスマンは現在導入している他社製品の欠点を語り始めたのです。そしてついには、ライバル会社そのものの経営批判やセールスマンはいかに質が悪く、顧客との間で起こしたトラブルまで暴露してしまいました。社長が気を悪くしたのは言うまでもありませんが、理由は誰もが感じる不快感以外にもありました。悪いことに社長の親戚がこともあろうに、そのライバル会社のセールスマンで、現在導入している製品はそのセールスマンから購入したものだったのです。批判したのは会社ではあまするが、その親戚を否定されたような気がするのは当然のことです。人と人はどこでつながっているかはわかりません。批判をするのであれば、本人と直接対峙して堂々と行うことです。選挙活動であれば、候補者同士が事前の打ち合わせなしで、お互いの意見を正面からぶつけ合う公開討論などは誰にでもわかりやすい設定です。
 逆に相手のいないところで批判をすることほど、人間性を疑われる場面はありません。
しかも先ほどの例では、縁故よりも経営上の効率性を重視する方針の社長はよりコストの安く、性能もいい製品を探していたというのです。少しでも優位に製品を売り込みたい必死さから、思わず出たこととはいえ、そのセールスマンが払った代償はあまりにも大きいものでした。一流のスピーチは、相手のことを思いやる配慮が欠けては成り立たないのです。
 仕事に対する熱意を語ったときに、それが本物かどうかもやはり人には伝わってしまうものです。どうしてこの仕事に情熱を傾けるのか?その理由が明確で、納得性が高ければ高いほど共感が得られる。ただ何となく仕事していますという程度では、話になりません。また、より大きな金銭を稼ぐために仕事をしているということでも、納得性が乏しいことに変わりはありません。やはり、そこまで打ち込んでいるなら、話を聴いてみようという気になるには、本物の熱意が必要です。つまり熱意が本物であることがキチンと伝わることが、最初の感性の扉を開くのです。

リーダーは何を語るべきか

 エイブラハム・リンカーン大統領の「人民の人民による人民のための政府」、フランクリン・ルーズベルト大統領の「恐れなければならない唯一のことは恐怖それ自体である」、ケネディの「国があなたのために何をしてくれるか問うのではなく、あなたが国のために何ができるかを問いなさい」といった名言は優れたリーダーの言葉として今でも人々の記憶に残っています。もちろん歴代のアメリカ大統領のみならず歴史上に名を残す実業界のリーダーも必ずと言ってよいほど名言を残しています。

実業界のリーダーが残した名言

 自動車王ヘンリー・フォードは「誰にでも買える自動車、フォードT型」というキャッチコピーで富裕者層だけのものだった自動車を広く一般に広めました。フォードは、ごく普通の人々に、自分も自動車が持てるんだという夢を与えたのです。
 鉄鋼王アンドリュー・カーネギーは、若い頃、これからの時代は鉄鋼業が必要だと直感して全財産を擲って会社を設立し一代で巨万の富を築きましたが、「たとえ最善の仕事をしようと、多くは不完全である」と言っています。カーネギーが伝えたかったのは、経営者は事業を起こしてただお金を稼ぐだけでは駄目で、そうやって稼いだお金を活かさなければならないということです。
 もちろん日本の実業界のリーダーも名言を残しています。明治時代に三菱財閥の基礎を作った岩崎弥太郎はたくさんの士族の社員を持て余していました。へたな商売を「士族の商法」と言うように、士族はもともと支配階級でしたから営業に回っても愛想良くするはずがありません。そんな士族の社員たちに対して弥太郎は、「人に頭を下げると思うと腹が立つ。お金に下げるのだと思えばよい」と諭しました。士族の社員たちは目から鱗が取れた思いだったでしょう。 

 かの松下幸之助は、何かをスタートするときの心構えとして「志を立て決意することは大事、だが、それ以上に大事なのは、その初心を持ち続けることである」と言って勢いよく始めることだけではなく、継続させることの大切さを後進の私たちに諭しています。
 堀場雅夫は仕事と好きという感情の関係を次のように説き、ともかく目の前の仕事に全力を傾けることに気づかせてくれます。

「仕事ができる人は、仕事を好きになるのがうまい。どんな仕事であれ、嫌々やるのではなく、自分なりのおもしろさを見いだそうと努力することで、仕事を好きに転化させる。仕事が好きになれば毎日が楽しいし、楽しいから仕事がおもしろくなる。この循環によって人は伸びていくのである」

 リーダーたるもの、諦めずに取り組む姿勢をこのように示すものかのと感心させられます。
 最後に、「明確な目標を持ったあとは執念だ。ひらめきも執念から生まれる」と言ったのは、安藤百福です。やると決めたらどこまでもやり抜く。そのことで必ず道が開けるのだと、勇気がもらえる言葉です。

 国家や大企業ばかりではなく、小さなプロジェクトチームのリーダーでも心を動かす言葉を発していることがあります。それは、プロジェクトチームのメンバーとの距離感が近いために、より飾らない平易な言葉である場合が多いように感じます。そして、重要なことは、やはりタイミングなのです。
 近くにいるからこそ、仕事がうまくいったときに褒め、そうでなかったときには励ます。壇上から聴衆に発するメッセージではないけれど、今目の前で起きていることに、語りかける「よかったね」「残念だったね」という言葉に人は心を動かされるのです。
 感情が動けばそれは充分に感動と言えます。家族や仲間同士でも、人の心の動きをよく見て、察して声をかける。小さなことですが、そう考えると誰でもが心に響く名言が残せるのかもしれません。

時を見計らって時を味方に

 リーダーとなる者は人の心を動かす言葉を持っていなければなりません。リーダーとなる者は人の心を動かす熱い思いを持っていなければなりません。そして、時を知らなければなりません。
 どんなに良い言葉であったとしても適切な時に言わなければ何の意味もありません。そのためにリーダーとなる者には時を見はからう洞察力も必要です。
 歴代アメリカ大統領で語るべき言葉を持っていたのは誰でしょうか。まずはリンカーンです。ゲティスバーグ演説を始めとして歴史に残る数々の名演説を残しています。リンカーンはまさに時代の申し子でした。
 リンカーンは大統領として南北戦争という未曽有の国難に立ち向かいました。リンカーンは国家の分裂は決して許すべきではないと国民に訴えました。
 リーダーは最も重大だと思うことについては寸毫の迷いも表面に出してはならないのです。
 南北戦争はアメリカ史上最も多くの死者を出した悲惨な戦争でしたが、リンカーンは最後の最後まで国民を導き、分裂したアメリカを再統合しました。もしリンカーンが少しでも迷いを見せていたら現代のアメリカは全く別物になっていたかもしれません。 
 貧しい家庭に生まれ育ったリンカーンは学齢期にほとんど正規の教育を受けることができませんでした。ではリンカーンはどこで言葉の力を得たのでしょうか。
 答えはシェークスピアです。リンカーンは少年の頃、酒場でシェークスピアを吟じる酔っ払いの声をよく聞いていたそうです。後に大統領になってからもシェークスピアをはじめとする文学作品を常に傍においていたそうです。
 リンカーンは、そうした文学作品を暗唱できるほど繰り返し読むことによって優れた文体を身につけたのです。人を動かす言葉を身につけるためには優れた文体を身につけなければなりません。

感動とともに非凡な表現を

 優れた文体とは分かりやすく明確で力強い文章です。そして、耳に残る文章です。
 平易なことを平易に言うことは簡単なことです。また難しいことを難しく言うことはそれほど難しいことではありません。一番難しいことは、難しいことを平易に言うことです。
 すべてを詳細に語るよりも、複雑な事情を整理し必要なことだけを適切に伝えるほうがよいのです。
 リンカーンは難しい技巧に富んだ表現を使っていたわけではありません。ごく普通の言葉を組み合わせて非凡な表現を作ることにリンカーンは長けていました。
 「人民の人民による人民のための政府」という言葉は普通の言葉を組み合わせていますが非凡な表現です。実はこれは政治家にして雄弁家のダニエル・ウェブスターの表現を真似したものですが、リンカーンが適切な時にこの表現を使ったので歴史に残っているのです。
 また演説は長ければよいというわけではありません。ゲティスバーグ演説はせいぜい二分程度にすぎません。
 ゲティスバーグでリンカーンの前の人は二時間近い演説を行いましたが、ご存知の通り人々の記憶に残ったのはリンカーンの演説です。 
 さらにリンカーンはとてもジョークを大事にしていました。リンカーンは、「笑いは人生を永遠に新鮮にする」と言っています。
 喜怒哀楽、そのどれもが感動です。真面目なことを語っていても時にはささやかな笑いをとることも大切です。聴衆はたとえ言葉の一つ一つを忘れたとしても決して感動した体験は忘れないでしょう。
 リーダーとなる者はメッセージを感動とともに伝えなければなりません。どんなに非凡な表現も感動がなければ色褪せてしまいます。

まるで音楽のように弁ぜよ

 リンカーンと並んで演説が上手かったのはフランクリン・ルーズベルトです。
 ルーズベルトの演説は数多くの音声が残っています。ルーズベルトの声は耳に残ります。聞いていると高揚感がみなぎってきます。
 演説技量は、書く能力、聴かせる能力の二つが必要です。
 書く能力はスピーチライターの助けを得れば改善できますが、聴かせる能力は本人の力量に左右されます。
 ルーズベルトの演説の特徴は、声の強弱がはっきりしていることに加え、速度も内容に応じて変化している点です。強調すべき言葉はゆっくりとした速度で強い調子で発音しています。
 また余韻もとっているので、ルーズベルトの演説はまるで心地よい音楽のようです。内容ももちろん優れていますが、勇気を奮い立たせる響きに溢れています。
 演説は歌を歌うのと同じです。
 結婚式のスピーチなどでよく見かけるのは、懐から草稿を取り出して読み上げるという光景です。きっと記念すべき結婚式を盛り上げようと苦心惨憺して書き上げた草稿を読んでいるのでしょう。
 草稿をそのまま読むと勢いが失われます。聴衆にとってはいくら内容が素晴らしくても退屈です。勿体ないことです。
 できるなら、まるで歌の歌詞を覚えるようにすべて暗記してしまうのがよいでしょう。しかし、演説を丸暗記するのは大変なことですし、もし途中で忘れてしまったらどうしようと不安になります。
 そこでお勧めの方法は、要点だけをメモした紙を持って話す手法です。そうすれば生き生きとした演説ができます。この手法は実際に大統領が採用した方法です。

 聴いていて思わず納得するような言葉やいつまでも印象に残る言葉には、その人の感情が込められた普段使いの言葉が多いように思います。やはり人は美しい詩のような言葉に感動するわけではなく、言葉に込められた感情に感動するのです。
 例えば、スポーツ選手が激闘のすえに勝利を得た瞬間の言葉にならない言葉に人々は感動し、涙することがあるからです。背景にある、厳しい練習や精神的な葛藤が伝わり、努力の積み重ねが勝利の栄光が勝ち取ったことを感じ取ることができるのです。
 メッセージは美しいか、正しいかではなく、最後は想いを込めた自分の言葉で語ることが
伝えるという目的を達成する近道なのです。

リーダーの務めは勇気と希望を与えること

 フランクリン・ルーズベルトはリンカーンと同じく時を知っていました。
 ルーズベルトが大統領に就任した1933年は、アメリカ国民が大恐慌に打ちひしがれて絶望にかられていた年でした。国民の勇気と希望を取り戻すことが最優先課題でした。
 ルーズベルトは就任演説で「恐れなければならない唯一のことは恐怖それ自体である」と訴えました。
 リーダーは人々に勇気と希望を与える存在でなければなりません。
 ルーズベルトは、勇気と希望を与える新しい政策を「ニュー・ディール」と名付けました。国民はアメリカの命運をニュー・ディールに賭けてみようと信じました。
 国民のすべてがニュー・ディールの全貌を理解していたでしょうか?それはありえないことでしょう。しかし、国民はルーズベルトを選びました。
 それはルーズベルトが勇気と希望を与えるリーダーだったからです。ニュー・ディールという言葉の響きに希望を感じたからです。まさにそれは福音です。
 後の研究によるとニュー・ディールにより本当に大恐慌を克服できたかどうかは疑問です。しかし、多くの国民の勇気と希望を取り戻したという点でニュー・ディールはまさに時代が必要としていたのです。
 他の大統領も自らの考えを表すキー・ワードを作っています。
 セオドア・ルーズベルトのニュー・ナショナリズム、ウッドロウ・ウィルソンのニュー・フリーダム、ジョン・ケネディのニュー・フロンティア、そしてリンドン・ジョンソンのグレート・ソサエティなどが有名です。
 このようにリーダーとなる者は自らの考えをずばり一言で表せなければなりません。

求められているのは不安を打ち消す確かな言葉

 「人口に膾炙する」という諺があります。
 膾炙とは美味しいお肉のことです。人々が美味しいお肉を食べるのが好きなように名言や詩句が人々の間で広まるという意味です。
 近頃、「格差社会」という言葉が人口に膾炙し、今ではすっかり定着したようです。日本が格差社会かどうか、たくさんの議論が交わされてきました。
 私は、格差社会が事実かどうかはそれほど大切ではないと思います。大切なことは、なぜ「格差社会」という言葉が人口に膾炙したかです。  
 「格差社会」という言葉が人口に膾炙したのは、多くの人々が漠然と感じていた不安を表すうってつけの言葉だったからです。格差社会が事実かどうかは関係ありません。「格差社会」という言葉が流行したのは、多くの人々がそう感じているという事実を示しています。
 今、日本のリーダーに求められているのは人々の不安を打ち消す言葉です。熱い思いがある言葉です。
 相次ぐ不祥事はいつの世もあることです。さらなる不祥事を防止することも大事ですが、何よりも大事なのは人々の不安を解消することです。
 例えばある研究者が、詳細な統計データを示して格差社会は存在しないといくら訴えても意味はありません。問題は人々の心の中にあるからです。格差社会の到来を既に現実として受け入れている人がたくさんいます。そして、その中にはそれを不当だと思う人もたくさんいるでしょう。
 ではどうすればよいのでしょうか。
 日本のリーダーは正直者が損をしない仕組みを作ろうというメッセージをまず人々に心に響かせなければなりません。人々の心を変えなければ何も変わりません。
 社会を支えている大部分の人々は正直に働き、正当な報酬を得たいと考えているはずです。
もし一生懸命に働いているのに正当な報酬、つまり生活に困らず、ささやかながら余暇も楽しみ、老後の蓄えもできる報酬を得ることができないならどうでしょうか。そして、一方ではルールを破ったり、他者を搾取したりして荒稼ぎをしている人がいることを知ったらどう思うでしょうか。正直者は馬鹿を見るだけ、大部分の人々がそう思い込んで投げやりになってしまえば社会は荒廃します。心の荒廃から社会の荒廃は始まります。
 社会は人が作るものです。人あってこその社会です。だから社会を変えられるのは人であり、また人の心そのものなのです。人の心をまず変える、それがリーダーとなる者に必要なことです。具体的な行動を取るのはその後でよいのです。

 大丈夫ですよ、あとは自分のできることをやればいいんですよという、安心できる言葉をたった一言でいいから、社会は待ち望んでいるのです。その一言を生み出し、社会に向かって発信することがリーダーの最大の役割ではないでしょうか。

語るべきなのは「私たち」の思い

 私はよく近くの大きな公園を散歩します。
 歩くのは健康に良いというので歩いています。日曜日の公園にはたくさんの親子連れがいます。親子で他愛のないことを話しながら遊んだり戯れたりして午後の一時を楽しんでいるようです。
 楽しんでいるのはもちろん親子連れだけではありません。恋人どうしや友人どうしもいるでしょう。のどかで平和な情景です。ごく平凡ですが、これはとてもとても大切なものだと私はいつも感じています。
 先憂後楽という言葉があります。
 リーダーとなる者は多くの人々に先んじて心配をし、人々が楽しんだ後で楽しむということです。もちろん先んじて心配したとしてもそれを表情に出してはなりません。そして、人々が喜び楽しむ様子を見て楽しむ豊かな心を持たなければなりません。
 私利私欲に走ることなく、多くの人々の喜びを自らの喜びとすることこそ至高の喜びです。 
 リーダーになる者にとって何よりも大事なのは己を無にすることです。
 自分の思いを語るといってもリーダーの自分勝手な思いを押し付けても人々の心をとらえることはできません。まず人々の声なき声を感じ取り、それを言葉にして伝えなければなりません。それは己を無にしてはじめてできることです。
 リーダーとなる者は、「私」の思いを語るのではなく、「私たち」の思いを語るべきです。

 企業では、進むべき道示す指標を持っていることがよくあります。それは、行動の指針にもなっていて、いつもポケットに携帯している企業も珍しくありません。リッツ・カールトンホテルのクレドが有名ですが、自分たちのあるべき姿をいつも思いながら行動することは、企業にとっても個人にとってもとても大切な意味があります。しかし、こういった行動指針を策定した企業でも、社員の行動レベルまで浸透している場合とそうでない場合があります。その違いは何でしょうか?
 いくつかの企業でその実情を見る限り、その指針が出来上がったプロセスに差があるようです。ひとつは、社員が全員参加して、「私たち」がどうあるべきかを考えながら、少しずつ積み上げ改訂を繰り返し、作り上げ今もまだ完成には至らず定期的な見直しをしています。
 もうひとつは、社長ないしは経営層の幹部が制定し、こうあるべきという「私」の思いを押し付けた格好になっており、実行が伴わないまま、格好のいい飾りになってしまっています。つまり、指針の策定プロセスに最初から「私たち」社員が加わるかどうかが差を作り出していると考えられます。もし、そうだとすると、行動指針に限らず一つ一つの決定プロセスを上からの押し付けで行うのではなく、そこに人々を参加させることで決定したことが「私」ではなく「私たち」になり、結果的に浸透していくことになるのです。
 リーダーのもうひとつの資質は人を巻き込む力が必要だと言うことです。

オバマ名言集

義憤

And we are here today looking for the answer to the same question: Where is that America today? How many veterans come home from this war without the care they need−how many wander the streets of the richest country on Earth without a roof over their heads? How many single parents can’t even afford to send their children to the doctor when they get sick, never mind to four years of college? How many workers have suffered the indignity of having to compete with their own children for a minimum wage job at McDonalds after they gave their lives to a company where the CEO just walked off with that multi-million dollar bonus?
「同じ質問に対する答えを今ここにいる私たちは求めている。古き良きアメリカは今いずこに。どれだけ多くの軍人が必要な補償なしで戦争から帰国しているのか。どれだけ多くの人々が世界で最も豊かな国の路上で雨露をしのぐ屋根もなくさまよっているのか。どれだけ多くの片親が病気になった子供を医者にやる余裕さえないのか。ましてや子供を四年間大学にやるどころではない。どれだけ多くの労働者が、数百万ドルのボーナスを懐に経営者が去っていくような会社に人生を捧げた後で、マクドナルドの最低賃金の職を自分自身の子供と奪い合わざるを得ないような冷遇を受けているのか」

勇気

We need to move forward with new leadership. That’s why we’re having this contest.
「新しいリーダーシップで前に進むことが必要だ。私たちが戦っているのはまさにそのためなのだ」

In America ordinary citizens can somehow find in their hearts the courage to do extraordinary things. That change is never easy, but always possible. And it comes not from violence or militancy or the kind of politics that pits us against each other and plays on our worst fears; but from great discipline and organization, and from a strong message of hope.
「アメリカでは平凡な市民こそ非凡なことを成し遂げる勇気を心に見出すことができる。その変化は容易いことではないが、いつでも可能性がある。暴力や争い、お互いに反目させて恐怖を煽りたてるような政治から変化は生まれるのではなく、規律や全米有色人地位向上協会のような組織、そして力強い希望のメッセージから生まれるのです」

挑戦

We believe in personal responsibility and self-reliance. But we also believe that we have a larger responsibility to one another as Americans−that America is a place−that America is the place−where you can make it if you try.
「個人の責任と自信を信じよう。アメリカ人としてお互いにより大きな責任を持っていることを信じよう、そして、アメリカというのはただの場所なのでしょうか、いやアメリカこそ挑戦すればできる場所だと信じよう」

This is our time. Our time to make a mark on history. Our time to write a new chapter in the American story. Our time to leave our children a country that is freer and kinder, more prosperous and more just than the place we grew up.
「今こそ私たちの時代なのだ。歴史に残る私たちの時代。アメリカという物語に新しい章を書き加える私たちの時代。私たちが育ったこの国をもっと自由で思いやりに満ち、繁栄し公正な国にして子供たちに残せるのが私たちの時代」

People are fed up, they’re angry, they’re frustrated, they’re bitter and they want to see a change in Washington. That’s why I’m running for president of United States of America.
「人々はうんざりしています。怒っています。不満を持っています。憤慨しています。ワシントンが変化するのを見たいのです。だからこそ私は合衆国大統領に立候補しました」

At the edge of despair, in the shadow of hopelessness, ordinary people make the extraordinary decision that if we stand together, we rise together.
「絶望の淵でこそ、失望の影でこそ、平凡な人々は非凡な決意をする。結束すれば共に立ち上がることができるのだと」

It is now time to fulfill our hope for an America where we’re in this together―for our seniors, for our children, and for every American in the years and generations yet to come,
「お年寄り、子供たち、そしてすべてのアメリカ人と将来の世代のために社会保障を実現するために一致協力する、アメリカをそんな場所にする希望を今こそかなえるべき時だ」

躍進

We won the state of Maryland. We won the Commonwealth of Virginia. And though we won in Washington D.C., this movement won’t stop until there’s change in Washington.
「メリーランド州で勝利した。ヴァージニア州でも勝利した。そして首都ワシントンでも勝利した。ワシントンに変化をもたらすまでこの動きは止められない」

In one day's time, in less than 24 hours, you will have a chance―it will be your turn―to stand up and say to the rest of the country, ‘The time for change has come’
「二十四時間以内にあなたたちにチャンスが訪れる。立ち上がって『変化の時が来たのだ』と全米に伝える順番がやってくるのです」

We know the battle ahead will be long, but always remember that no matter what obstacles stand in our way, nothing can stand in the way of the power of millions voices calling for change.
「これから戦いは長期化するだろうが、どんな障害が待ち受けていても、変化を求める数百万の人々の声の力を押しとどめるものなどない」

和解

Hillary and I may have started with separate goals in this campaign, but we made history together.
「ヒラリーと私は違った目標を持って予備選挙を開始したが、私たちは一緒に歴史を作った」

For 16 months, Senator Clinton and I have shared the stage as rivals. But, today, I couldn’t be happier and more honored and more moved that we’re are sharing this stage as allies.
「16ヶ月にわたって、ヒラリーと私はライバルとしてステージで競ってきた。しかし、今日、このステージを盟友として私たちが共有できること以上に幸福で晴れがましく感動することはない」
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